雷鳴

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 ベルガマには昼前に到着した。
 オトガル近くのロカンタで飯を食った私は、目抜き通りからちょっと脇に入った道を歩いていて、感じのいい宿を見つけた。係の兄ちゃんは気さくで宿代も安かったので、私は建物の屋上にちょこんと置かれたような一風変わった部屋をとった。辺りは込み入っていて眺めはもう一つだったが、広い屋上をまるまるベランダ代わりに使うことができた。
 私は洗い桶を借りると、すっかり汚れた服を洗濯した。木々では小鳥たちがさえずり、ぴんと張ったロープに干された洗濯物は、青く澄んだ空に鈍重に舞った。

 ヘレニズム時代。アレクサンドロス大王の没後、彼の将軍たちは大王の築いた広大な帝国を分割統治していた。ベルガマはそんな王国の一つアッタロスの首都として、イスラームやオスマン・トルコの侵入を受けて衰退するまでの間、何世紀にも渡って繁栄をほしいままにしてきた古代都市だ。

~ベルガマの住宅街~

 私は着替えを済ませると、アクロポリス(高所に位置する都市の意)へと向かった。切り立つ丘の頂きに聳えるアクロポリスへ向かう交通手段は、観光バスでも使わない限りタクシーしかなかった。だが、ここはひとつ歩きだ。ゆっくりまちの散策でもしながら頂上を目指そう。

 ベルガマは下界に限っては今でもにぎやかな現役のまちであり、そこからアクロポリスを望むことはできなかった。頼みの綱のツーリストインフォメーションも休日のため閉まっており、私は方向だけを頼りに進んでみることにした。

 歴史を感じさせる落ち着いた商店街を抜け、川を渡るとそこから先は住宅街だった。遥か遠くの丘の上に、小さく何本かの柱が見える。どうやらあれがアクロポリスのようだ。
 ところどころに停まっているタクシーが、通りすぎる私に誘いの言葉を掛けてくる。神殿へ至る道のりのあまりの遠さと傾斜のきつさにちょっとだけ心が揺らぎかけたが、初志貫徹が重要だ。

 私は石畳の坂道を上り、元気に跳ね回る子供たちと遊びながらのんびりとすすんだ。疲れたら休憩だ。目が合ったら挨拶する。あるときは庭で団欒中の家族に呼ばれ、またあるときは青空の下で絨毯を洗っている女の子と笑いあう。
 住宅街を通り抜け、庭の裏側にまわってさらに上へと上へと上りつづけると、岩だらけの荒涼とした斜面に出た。ところが私はそこで大きな問題にぶち当たってしまったのだ。

 これだけ上ってきても一向に神殿に近付けないことは、この際問題ではなかった。なんとそこには私の行く手を遮るように、延々と有刺鉄線付きの網が張られていたのである。

~子供たち~

 面食らった。何のためにこんなものを張るのだろう。網の向こうには丘の外周をぐるりとらせん状にまわってゆったりと頂上に至る自動車道路が通っていて、鉄線は谷側に向けて張られていた。コンクリートの柱は真っ白で網は錆ひとつなく、工事が行われてまだ間もないことを示していた。
 これじゃあまるで、住宅街をショートカットなんかせずにタクシーを使えといっているようなものじゃないか。いや、それ以外考えられない。

 網に沿ってしばらく歩いてみたが途切れる様子はなかったし、乗り越えることも不可能だった。
 畜生そう来るか、土木局め。こうなったら「掘る」しかない。せっかくここまで上ってきて、タクシーに乗るために再び下界に戻るなんてまっぴらご免だ。網の下を掘ってくぐりぬけよう。

 幸い土は脆く、落ちていた石を使って掘ると面白いように崩れていった。これはいい。頭脳の勝利だ。私は夢中で掘り進んだが、やはり現実と映画とは違う。もう少しというところで硬い岩盤にあたってしまった。これではちょっと抜けられない。
 神殿がそこに見えているというのに、こんなもののために撤退しなくてはならないのか。無念だ。非常に無念である。

 歯噛みして丘を下り始めた私は、裏通りを散歩中の老人に出会った。
「メルハバ」
「アクロポリスか?」
「そうなんですけど、網が…」
「だったらあそこを行くといい。しばらく進んだところを左に入ると、網が破けているところがある。そこからなら出られるぞ」
 老人はそう言って、住宅街の中を斜面と平行に走る細い道を指差した。

~天を貫く~

 教わった道をどこまでも歩きつづけると、果たして彼の言葉通り、柱は立てられているのだが網の結合だけがまだ終わっていないという部分が辛うじて一箇所だけ見つかった。こいつは助かった。

 宿を出てからどれくらい経っただろう。私はついにベルガマのアクロポリスに到着した。
 ゲートを抜けると、そこには壮大なスケールの都市が、いや、都市の残骸が広がっていた。
 急斜面に造営された、一万人を収容したといわれる大劇場。そして二千年の時を経て、今なお白亜の輝きを失わないトラヤヌス神殿

 そこに生まれては消えていったはずの幾多のドラマ、複雑に織り成されていたであろう人間模様を思うとき、荒野に点在する残滓の痛々しさは、より一層栄枯盛衰の悲哀を私に感じさせるのである。

 帰りは行きよりは随分と楽に歩くことができる。私は道すがら、オランダ人の若夫婦と一緒に下りることになった。

「日本人にしては珍しいわね、歩くなんて」
「タクシーを使いたくなかったんです。そういうあなた方は?」
「そうだな。タクシーなんか使ってたら、足が退化しちまうよ。健康のためだな」
「そうですよね。それにしてもここも本当に観光客が多かった。私は観光客はあまり好きではないんです」
「あら、あなたは観光客じゃないの?」

~ベルガマ市民~

 痛いところを衝かれたと思った。確かにそうだ。私だって単なる観光客に過ぎない。一人旅をしているとつい忘れがちになってしまうが、どんなスタイルで旅をしようとも、地元の人々の生活に、ある意味での悪影響を与える観光客の一人であることには違いないのだ。

「おっしゃる通りです。でも、そうですね、グループツアーの喧騒が苦手なんですよ」
「それならわかる。俺たちもグループツアーは嫌いだ」
「ところで実は私は住宅街を抜けてここへ来たんです。よかったら一緒にどうですか?」
 私は網のかかっていない場所に来ると、彼らにそう言った。
「あら、近道になりそうね。試してみましょうよ。でも私たちは本当に幸運なのね。次に来たときには、ここも間違いなく通れなくなっているわ」

 次に来たとき。次に来たときには確かにここは塞がれているだろう。それだけならいい。一向に構わない。いつの日までもトルコがトルコであり続けていてくれれば。トルコ人がトルコ人らしさを失わないでいてくれさえすれば。

 その日の晩、ベルガマは大地を揺るがす激しい雷雨に見舞われた。神話がまだ神話でなかった時代、人々はこの絶え間ない雷鳴に神々の怒りを感じたのだろうか。
 空に一番近い小部屋の中で、自然の奏でる光と音のファンタジーに心を震わせながら、私は天高く聳える白い柱を思い出していた。


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