沈み行く夕陽をみつめ

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 私はカッパドキアへ向かうバスの中にいた。
 カッパドキアは、複雑な地層が気の遠くなるような年月の間に浸食してつくられた奇岩による、幻想的な景観の広がるエリアである。エリア内にはギョレメ、ネヴシェヒル、カイマクルといった複数のまちがあり、なかでもキノコのような形をした奇岩群のただなかに位置する村がギョレメだった。
 私はアマスヤのオトガルで、うちのバスならギョレメへ直行さ、と喧伝するバス会社を選んでチケットを買ったのだ。

 昼前にアマスヤを出たバスも、今は夕暮れ時の道を走っていた。じきにここも暗闇に支配される。
 バスの中ではアテンダントの青年が乗客にかいがいしくサービスをする。コロンヤと呼ばれる香水を両手に振り掛けてまわったり、ミネラルウォーターやジュース、それに菓子を配ったりもする。

 車内には常に奇妙な音階のトルコポップスが流れていて、例えバスが三菱製であろうとも、ジャミイの屋根を眺めながら不思議な音楽を聞いているだけで十分に異国情緒に浸ることができる。
 トルコの音楽は、私にはどれも同じように聞こえた。西洋音楽とは異なる、独自の音階で奏でられる音楽 ―その大半がラヴソングらしいが― は、それ自体が十分に特徴的であり、音そのものが耳に残ってしまうために内容にまではなかなか踏み込めないのだ。

 乗客はみなトルコ人だった。観光地から観光地へと移動するバスともなると旅行者も多いのだろうが、鉄道網の発達していないトルコでは、それ以外の路線は人々の生活のための足なのだ。

~ギョレメの男の子~

 夜の帳が下り、バスは人気のない通りを走りつづけた。私はチケットを取り出し、行き先の欄を見た。するとそこにはどうしたわけかネヴシェヒルと書かれていた。
 オトガルの係員は、確かにギョレメ直行のバスだといってこのチケットを売ったのだ。その口上を信じて記載をよく確かめなかった私も悪いのだが、それでも私はどうしてもギョレメに泊まりたかった。

「すみません、このバスってギョレメに行ってくれるんですよね?」
 バスのアテンダントは、そのほとんどが英語を話せない。そしてこのバスも例外ではなかった。やむなく私も表現を変えた。
「ギョレメ、ギョレメ。ネヴシェヒル、ノー。ギョレメ、ギョレメ」
 地名を連呼したおかげで、彼も私の言いたいことがわかったようだ。早速運転手に尋ねに行ってくれた。

 しばらくして私のところに戻ってきた青年は、苦笑いをしながら両手で水平に宙を切った。このジェスチャーはなんだろう。
「ギョレメ?」
「ノー」
 ノーだって?ではやはりこのバスはギョレメには行かないのか。

 まあいい。ネヴシェヒルからでもドルムシュを乗り継げばギョレメに行けるんだし、少し手間は増えるが我慢するしかない。きっとアマスヤの係員にしてみれば、同じカッパドキアのまちという意味でギョレメ行きなんて言ったんだろう。
 でも、大阪から新宿行きといわれたバスに乗ってみたら東京に着いてしまいました、なんてことになったらちょっと困るんじゃないだろうか。
 そんなことを考えながら揺られていると、いきなりバスが止まった。

 アテンダントが走ってやってくると、私に降りろ降りろと囃し立てる。何がなんだかわからないまま車外に出ると、彼はカーゴルームから私の荷物を取り出し、にっこり笑って車内に戻ろうとした。
「あ、あの…」
「オトガル」
「オトガル?」
 彼は遥か遠くの明かりを指差した。一体私にどうしろというのだろう。
「バーイ!」
「サ、サンキュー」

 狐につままれたような気分だった。バスは呆けた顔の私一人を夜道に残して走り去った。
 辺りはまっくらで建物は一つもなく、明かりといえば彼がオトガルだと言っていた遠くのあの光しかない。でもギョレメは斜め後方に位置しているはずだし、バスは明かりとは反対の方向に去っていったのでネヴシェヒルでもないだろう。

 やれやれ。何が悲しくてこんなところで放り出されなきゃならないんだ。
 嘆いていても始まらないので、まずはしばらく歩いてみることにした。あの明かりまで行けば、なんらかの手がかりはあるに違いない。
 だがその試みがあまり賢くないものであるということにはすぐ気づいた。歩けば歩くだけ、明かりが遠ざかっていくのだ。そう簡単に行きつけるような距離ではなさそうだった。
 こんなとき、どうすればいいのだろう。答えは一つしかなかった。

 寂しい道だった。夜風が冷たくなり始めた通りを、思い出したように車が行き過ぎる。しかし私は未だ決心がつきかねていた。いくらトルコとはいえ、本当に大丈夫だろうか。
 ところが私に悩む暇も与えず、一台の小さな車が少し先に停まった。今だ!
 私は走り寄ると、両手を広げて訴えた。
「ギョレメ、ギョレメ。ギョレメ、ギョレメ」
 傍から見たらただの阿呆だなと思いつつも必死に地名だけを連呼したら、ドアが開いた。

 二十年以上は使われていそうに見える年代物の小型車には、男が二人乗っていた。
「ギョレメ?」
「エヴェット」
「ギョレメ、ギョレメ…」
 二人は相談を始めた。ギョレメってどう行くんだっけ、という会話のようだ。性善説を信奉する私は、この段階でもうすっかり安心してリアシートでくつろいでいた。捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものだ。
 そして私の感じた通り、彼らは善良なるトルコ人だったのだ。何より驚かされるのは、こちらから積極的にアピールしたわけでもないのに車を停めてくれるというその優しさである。

~ギョレメ~

「親切」という概念の定義がまったく違っている、と村上春樹は言った。ことトルコに関する限り、彼のこの言葉は完全に正しいのだ。日本なら「おせっかい」あるいは「下心あり」として扱われるようなことが、この国においてはまったく正当な、正常な親切なのだ。

 道を尋ねたかったら、トルコでは相手を選ぶ必要はない。目についた人に聞けばいいのだ。そして運悪く彼もしくは彼女が尋ねられた道を知らなかったとしても悲観するには及ばない。その人はあなたと一緒になって探してくれるか、他に詳しい人を見つけ出してくれるだろう。
 困ったことがあったら、あなたはただ困った顔をして突っ立っていればいい。きっとどこからか救いの手が差し伸べられることだろう。そして腹が減ったら―。
 この国民性というのは、いったいどうやって形成されるものなのだろう。旅人に尽くすことがイスラムの教義だとしても、時として私たちの理解の範疇を越えるこの優しさは。

 そのうちに車はギョレメに到着した。村の中心で私を下ろすと、彼らはもと来た道を戻って行った。そう、もと来た道を…。

 元来は片田舎の村であったはずのギョレメも今ではすっかり観光開発が進み、奇岩は中をくりぬかれて宿となったり、オブジェのようにライトアップされたりしていた。

 レストランで二人の日本人旅行者と出会った。一人はすでに日本を出て久しいという孤高のバックパッカー、もう一人は学生生活最後の夏休みを各国をまわって過ごしているという一人旅の大学生だった。
 私には彼ら二人ともが非常な自由人に見えた。私も彼らのように自由になりたいと思った。だが、自由とは束縛との対比にあって初めて光り輝くものであり、何一つ身体行動を制約されることのない状態が永久に続くとしたら、果たしてそれは自由といえるのだろうか。私には未だわからない。

「カッパドキアは広いから、レンタルバイクを借りてまわるといいですよ。僕は今日そうやってまわったんですけど、おかげで行きたいところはほぼ行けました」
 レンタルバイクか。いいですね、そういうのも。確か昨日は彼らとそんな会話をしたはずだった。しかし今、朝もやのチャイハネでチャイをすすりながらパンをかじっていると、レンタルバイクで効率的にみどころをまわって、などという気持ちは不思議とさっぱり湧かなかった。

 これだけの観光名所に来てるんだからあちこち見るべきじゃないかという声と、いやいやあくまで自分のペースでまわるべきだという声が私の中で争い、いつも後者が勝ってしまうのだ。
 だが私はそれで後悔したことはない。自分のペースで歩くこと、それが写真で見た観光名所のすべてを飛びまわることよりも私にとっては重要なことなのだ。

 ギョレメから徒歩で行ける距離に、屋外博物館があった。とりあえずそこにでも行ってみるか。私はてくてくと歩き出した。一人歩きつづける私の横を、次々と大型観光バスが走り抜けていく。
 荒涼とした道を歩いていくと、右手の小高い丘に続くけもの道を行く白人バックパッカーたちの後姿が見えた。路上の標識にはラヴバレーと書いてある。屋外博物館はもう少し先だったが、面白そうなので私も彼らの後を追ってごつごつした丘を上っていった。

 丘の頂上からは、それは雄大な眺めがひろがっていた。ほぼ三百六十度に広がる、奇岩の大パノラマ。私はオランダ人の一行と、この場所の素晴らしさについてしばし語りあった。彼らは先を急ぐらしく、五分ほどしてすぐに行ってしまったが、私はいつまでも飽きることなく奇岩の群を眺めていた。

 はるか眼下の大きな駐車場は観光バスでびっしり埋まっていた。そして私はただ一人、こんなところにいるのだ。なんの根拠もなかったが、観光客がこぞって訪れている屋外博物館がここより素敵なはずはないと思った。そう思うと、私はその考えをなんとか証明してみたくなった。そこで私は青空の下で、思いきり立ち小便をしてやった。そして最初は心の中で、次に声に出して、ざまあみろ、と言ってみた。
 我、ラヴバレーに立てり。

~奇岩群~

 午後は隣町カイマクルにある地下都市に行ってみようと思っていた。地下都市は、アラブ人に迫害されたキリスト教徒が住みついていたともいわれる何層にも広がる地下住居で、暗い穴ぐらの中には何万人もの人々が暮らしていたという。

 私はドルムシュに乗ると、ネヴシェヒルに向かった。カイマクルへ直行するドルムシュはないので、一旦カッパドキアの中核都市であるネヴシェヒルへ出なくてはならないのだ。

 ネヴシェヒルに到着したドルムシュは、繁華な通りで私を下ろすと走り去った。トルコ一ともいわれる観光エリアなのに、ここではなぜかまったく旅行者を見かけなかった。タクシーを使えば直行できるところにわざわざドルムシュを乗り継いで行こうなどという人はよほど少ないと見える。
 私はツーリストインフォメーションで乗り場を尋ねると、街角のケバブサンド屋で買ったサンドイッチを頬張りながら、カイマクル行きのドルムシュに乗り込んだ。

 カイマクルの地下都市は、ある程度予想していたとはいえ、おびただしい数の観光客で溢れていた。ただでさえ狭い穴ぐらの中にアメリカ人、フランス人、中国人、韓国人、日本人と、各国ツアー客ご一行様にガイドのみなさん。
「はい、ではここで止まってください。この穴は、紀元前…」

 やれやれ、間をすり抜けるのも一苦労だ。本当はこの地下都市、いくら感心してもし足りないくらいの凄い代物なのだが、なんだか完全に興醒めしてしまった。地下都市にいるというよりは、まるで朝の小田急に乗っているようだ。

 私は足早に外に出ると、人ごみを離れて近くの村落に入っていった。人々の身なりは一見してわかるほどに粗末で、寄ってくる子供たちは口々にマネーマネーとつぶやいては金をねだった。この村落は、これまでに見てきたまちとは異なりかなり貧しいところのようだった。
 金の無心をする子供は、私の心を寒くさせる。万策尽き果てた大人はいい。金を恵んでもらって生きるのもまた一つの道だろう。でも子供は自ら金を欲するわけではない。その背後には必ず子供を利用しようとする大人の存在があるはずだ。
 入国以来初めて出会った物乞いたちに、私はトルコもまた決して豊かな国ではないのだということを再認識せずにはいられなかった。

 少し暗い気分で村落を通りぬけると、いきなりにぎやかな集会が行われている場所に出くわした。演壇には恰幅のいい男が立ち、彼の一言一句に、会場をぎっしり埋め尽くした聴衆は割れんばかりの拍手と大歓声を浴びせる。
 これは一体なんだろう。労働者の集会か、あるいは宗教的なものか。もしかしてこんな場所に外国人が紛れ込むと危険なのかもしれない。
 そう思ったときに、背広姿の男が英語で話しかけてきた。

~ネヴシェヒルの女の子~

「あなたはこの騒ぎが何事かと訝っているのではありませんかな?」
 おお、人の心を読めるあなたは一体!
「あそこに立っているのは農業大臣、この国では非常にビッグな男です。私は今回のイベントを担当している者で、いまここではポテトのコンテストが行われているんですよ」
「コンテストが?何を競うんだろう。大きさかな、それとも味?」
「全部ですよ。大きさとか形とか、もちろん味もね。ついさっき優勝者が発表されて、それでみんな盛り上がっているんです」
 なるほど。全然危険なんてなかったんだ。

「これから料理が振る舞われます。食事がまだなら、ご一緒にどうですか?」
「じゃあお言葉に甘えて」
 料理が振る舞われるといってもこれだけの群集に行き渡るだけの量はさすがになく、一般客用に用意された大鍋には山のような人だかりができていた。
「こちらへどうぞ」
 関係者用に準備されたテントの中で、私はフライドチキンとホクホクのボイルドポテトにありつくことができた。

 そのうちに彼のボスがやってきた。ちょっと強面のボスは、外見とは違ってなかなかに社交的な人物で、私たち三人は群集をバックに記念撮影と相成った。
 大臣の去った会場には、人々の歓声がいつまでもこだましていた。

 広場に一台のドルムシュが停まっていた。運転手はそとで煙草を吸っていて、車内には誰もいなかった。ギョレメに戻るには、再びネヴシェヒルを経由しなくてはならない。私は休憩中の運転手に尋ねた。
「ネヴシェヒル?」
「エヴェット」

 私は車内で待った。いつまでも待った。だがドルムシュは一向に発車しなかった。そんなとき、運転手に発車時刻を尋ねるのは野暮だ。彼から見て「十分に」人が集まったときが出発のときなのだ。

 中年の夫婦が老人を連れて乗ってきた。メルハバ。私が挨拶すると、彼らもまた熱心に話しかけてきた。そこから先はいつも通り、日本語とトルコ語のバイリンガル会話である。彼らも私が素っ頓狂なことを言っているのが雰囲気からわかるのか苦笑いをしていたが、だからといって萎縮するわけでもなくますます雄弁になり、座席から身を乗り出しては口角泡を飛ばした。

 ふと窓の外を見やると赤く燃える夕陽は西の空に沈みかけ、そしてエンジンは沈黙を続けていた。夕暮れ時のどこか慌ただしい町並みに、時の流れからひとり取り残されたかのような乗り合い自動車が一台。乗客は相変わらず私たちだけで、運転手はすでにどこかへ姿を消してしまっていた。

 こういう種類の旅は、と私は思った。こういう種類の旅は、およそ多忙なサラリーマンには似つかわしくないものなのかもしれない。だが私には、この信じられないほど無駄なひとときが、信じられないほど贅沢なものに感じられた。この一瞬が永遠であればいい。
 夫婦の暖かな眼差しの中で、私は穏やかにそう思っていた。


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