坂のある風景

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 夕方宿に戻ると、断水していた。日本円にして僅か五百円と格安だったこともあり、もう一泊するつもりだったが気が変わった。シャワーが浴びられないとなると夜行を使ってでも移動した方がマシだ。次のまちへ行こう。
 私はドルムシュを乗り継いでオトガルに向かった。

 ドアを開けて降り立った私を、バス会社の係員たちが一斉に取り囲んだ。トルコでは民間のバス会社がそれこそ星の数ほどもあって、互いに顧客獲得競争にいそしんでいる。
「イスタンブル?イズミル?アンカラ?」
 ちょっと静かにしてくれよ。まだどこに行くか決めていないんだ。
「イスタンブル?イスタンブル?イスタンブルオーケイ?」
 一言もイスタンブールだなんて言っていないのに、勝手に決めないでくれ。私は東に行きたいんだ。

 そのとき、リヴンの言葉が頭に浮かんだ。本当に静かでいいところ。サフランボルよりも素敵なまち。
「アマスヤ!」
 私はそう叫んだが、係員は首を横に振った。
「アマスヤ、ノー。アンカラ。アンカラ・アマスヤ、アンカラ・アマスヤ、アンカラ・アマスヤ、オーケイ?」
 彼の話しぶりからすると、アマスヤへ行くためには一旦アンカラまで出なくてはならないようだった。距離的には随分と遠回りになってしまうが致し方ない。
「アンカラ、オーケイ」
「アンカラ!アンカラ!」

 係員が必死だったわけがわかった。アンカラ行きのバスは今まさに出発しようとしているところだったのだ。私は手を振りながら動き始めたバスに駆け込み、最後の座席におさまると一息ついた。

~トルコ国鉄のレール~

 バスは夜九時過ぎにトルコの首都、アンカラのオトガルに到着した。祭の日の屋台のようにずらりと並んでいるバス会社の中からいくつかのカウンターを巡ってアマスヤ行きのチケットを手に入れた私は、ゆっくり食事をしてから零時発のバスに乗り込んだ。
 我々のバスがアマスヤの小さなオトガルに到着したのは夜明け前のことだった。

 まちが動き出す時間まで、仮眠を取ることにした。人気のない薄暗い待合室で、私は椅子をかき集めて即席のベッドを作ると横になった。
 だがシャワーを浴びていないからだろうか、絶え間なく体じゅうにたかってくる蝿が気になってどうにも熟睡できないまま朝になってしまった。起き上がって辺りを見まわすと、私と同じように椅子のベッドで眠っているトルコ人が二人いた。

 日本では新宿や横浜のような巨大な駅にもバスターミナルが隣接しているが、トルコでは大抵のオトガルは郊外に位置している。そのため、まちの中心に出るにはなんらかの他の交通機関に乗り換えなくてはならないのだ。
 私はオトガルを出るとタクシーの勧誘を振りきり、セントルム(まちの中心)へ行くというドルムシュに乗り込んだ。

 ここがセントルムだといわれてドルムシュを降りると、目抜き通りに沿って流れる川の向こうには切り立った岩山が聳え、それをくりぬいて作った王の墓と城とが雄雄しくそそり立っていた。

 私は橋を渡り、線路を越えて岩山の頂上を目指した。
 頂上には清水の舞台のような石段が設けられていて、そこから下界を見下ろした私は思わず嘆息した。美しいまちだった。リヴンの言葉は正しかったのだ。

 アマスヤは何もない峡谷に忽然と出現したような不思議なまちで、家々は急峻な斜面にへばりつくように建っている。ここからは横方向に広がるアマスヤのまちを一望のもとに見渡すことができた。
 こんなに素晴らしい場所なのに、辺りには人っ子一人いなかった。私はバックパックを枕に、今度こそ大の字で眠った。青い空と素晴らしい景色の中で昼寝のできる幸せをかみしめながら。

~バス停の裏で一休み~

 徐々に気温が上がりゴロ寝も満喫できたところで、私は岩山を降りて宿を探すことにした。トルコでは、選り好みさえしなければすぐに宿にありつける。宿代だって千円もあれば十分だ。

 私はこぎれいなゲストハウスを見つけるとチェックインし、小物の洗濯を済ませると今度は川を挟んで岩山とは反対側の斜面に向かった。遠目にも険しい坂だろうと思えたが、実際に辿りついてみると考えていた以上の斜度が続いていた。
「メルハバ(こんにちは)!」
 この国では、すれ違う人すべてと挨拶がしたくなる。なにしろ老若男女を問わず、相手を警戒したり構えたりという雰囲気がまったく感じられないのである。そんな人を前にするとき、自然に出てくる言葉が「メルハバ」なのだ。そしてほとんどの場合、相手もにっこり笑って返事をしてくれる。

 一軒の雑貨屋の前で、チャイを片手に談笑している中年たちがいた。私が挨拶すると、中の一人が近付いてきてぺらぺらと喋り出した。しかし何を言っているのか全然わからない。
「済みません、英語話せますか?」
「ドイツ語なら話せるが英語はだめだ。あんた、ドイツ語は話せないのか」
「だめです」

 私たちの意味のある会話はそこまでだった。それでもどうしたわけか話は進み、私は彼に近くのジャミイ(イスラム寺院)を案内してもらうことになったのだ。

 トルコ人というのは、人に親切にすることを生きがいにでも思っているのかもしれない。私たち外国人には時としてそれがわずらわしく感じられることもあるが、そういう文化の中に浸っていると、親切とはいわば「そこにあるもの」になってくるのかもしれなかった。

 彼に礼を言って別れると、私は更にまちの高みへと上っていった。高度が上がれば上がるほど、心なしか人が純朴になっていくように思えた。
 老婆は荒い息をつきながら坂を上り、子供たちは元気に飛び回っている。ボロ車が苦しそうに走り去り、後を子犬が追いかける。私がメルハバと言い、少女もまたメルハバと言う。

 坂道の頂上付近で、小さな家の軒先に座り込んでいる家族がいた。午後のひとときを何をするでもなく過ごす、実にのどかな風景だった。私も彼らの横に座って休憩することにした。
「ジャポン?」
「エヴェット」
「エヴェット、エヴェット!」
 たった一言でも、外国人がトルコ語を喋るのを見るのは楽しいことなのだろう。だがその一言が、私がトルコ語を操れるらしいという期待を彼らに持たせることになってしまった。

 母親は冷たいアイラン(トルコ風飲むヨーグルト)をコップになみなみと注いで持ってくると、次から次へと私に質問を浴びせかけた。アイランはおいしかったが、質問はわからなかった。

 心許ない受け答えから私のトルコ語の能力の無さくらいは彼らにもわかるだろうに、それでも母親、祖母、息子、ご近所、寄ってたかって話しかけてくる。大きな身振りで単語一つ一つをゆっくりと発音し、なんとか私に理解させようとしてくれるのだ。そして私が言われた言葉を鸚鵡返しするたびに、そうだそうだといって喜ぶ。
 彼らの熱意と心遣いは嬉しかったが、結局私にわかったことといえばみんなの名前くらいだった。それでも私も、そしてみんなも満足だった。

 私がアイランを飲み干すと今度はチャイセットが運ばれてきた。携帯コンロの上にいつもの二段やかんが置かれ、その家の軒先は即席のチャイパーティー会場と化した。

 チャイグラスは非常に小さいので、何口か飲めば残り僅かになってしまう。するとその度ごとに誰かが残りを捨てて、私に新しいチャイを注いでくれるのだ。大きなやかんから小さなグラスに注がれるチャイは、まるで尽きることのない涌き水のようだった。
 私がロクな話もできないにも関わらず、話題は尽きることがなかった。そのうちに私は、英語を喋ることの無意味さに気づいた。彼らはトルコ語しか話せなくて私はトルコ語がわからない。そして私が英語を話しても彼らは英語がわからない。だったら。
 そう、だったら私も日本語を話せば良いではないか。
 それからのち、その日本語とトルコ語の飛び交う不思議な会話は私にとってごく普通のものとなっていった。

~坂の上の家族と~

 ロカンタで飯を食うことにした。ロカンタというのはトルコの食堂のことで、客はバイキング形式に並んだ料理の中から好きなものをオーダーする。
 中華、フレンチと並んで世界三大料理に数えられるトルコ料理は、一見シンプルな味付けでありながら深みがあり、なにより素材が新鮮でこくがあるので、時として羊肉の臭いが気になることを除けば煮物も焼き物も食べるものすべてがおいしかった。

 トルコ建国の英雄、ケマル・アタチュルクの乗馬像が屹立する広場で、私は目のくりっとした少年に出会った。身振り手振りで話してみたところ、どうやら彼はロカンタの息子らしかった。
 少年について行くと、果たして小さなロカンタがあった。私がテーブルにつくと、彼はきびきびと給仕を始めた。私は茄子と挽き肉の煮物にミネラルウォーターを頼んだが、彼はもう全身好奇心の塊と化して私のそばを離れようとしない。
 私がちょっと手を休めるたびに、少年はファンタやらヨーグルトやらアイランやら、頼んでもいないものを次々と持ってくる。断るのも悪い気がして全部平らげてしまったが、結局料金はしっかり請求された。

 きっと私に不自由な思いをさせたくなかったのだろう。仮にそうでなかったとしても、彼の愛嬌のある目はどうしても憎めなかった。いやはやたっぷりと食わせてもらったよ、ごちそうさん。
 すっかり満腹になった私は、少年にウインクすると店を出た。

 広場では家族連れが、カップルが、子供たちが、そして老人が、澄んだ星空の下で思い思いに語らっていた。どこにでもありそうで案外なかなか見つからない、そんな「しあわせ」を絵に描いたような光景がそこにはあった。
 翻って私はどうだろう。腹も一杯だし、明日は次のまちに行くんだ。とりあえずはしあわせなのかもしれないと私は思った。それなのになぜだろう、心の奥にぽっかりと、目に見えない小さな空洞があいているような気がした。

~ジャミイの兄弟~

 翌朝、市内を走るドルムシュに乗っていると小脇に分厚い本を抱えた少年に話しかけられた。
「僕は英語を勉強してるんだ。君は日本人?」
「そうだよ。英語を勉強してるなんて珍しいね」
「うん。ええっと、ここにはいつ来たの?」
「昨日来たんだけど、今日はもう発たなくちゃならないんだ」
「これからどこに行くの?」

 そのとき私は、カッパドキアに行こうとオトガルに向かったものの、バスの発車時刻まであと二時間以上もあることがわかったため、係員に荷物を預けて再び市街に戻ってくる途中だったのだ。そのことを説明してみたが、彼の英語力ではほとんど理解できないようだった。

「まちに行こうと思ってね」
 私は言い換えた。
「じゃあここで降りるといいよ」
 エフェ少年は博物館前で私と一緒に降りると、少しはにかみながらまちを案内し、つたない英語で私をもてなしてくれた。

「ところで君はなんでここに来たの?このまちはとてもきれいなところなのに、観光客は全然こないんだ」
「サフランボルで会った人に勧められてね。実際いいところだったよ」
「絶対僕に手紙を書いてよね。ヨーロッパ人ときたら、いままで手紙を送るよって言っておきながら、本当に送ってくれたためしがないんだ」
「ははは。そうか、ヨーロッパ人は送ってくれないか。大丈夫、私はちゃんと送るとも」
「じゃあ待ってるよ。君をもっと案内してあげたいんだけど、これから英語のレッスンがあるんだ。だからそろそろ行かなくちゃ」
「ありがとう。おまえもがんばって英語勉強しろよ」

 今の私には、リヴンの言いたかったことがはっきりと理解できた。
 取り立てて見るべきところはない。だがそこに生きる人々の、なんでもない、ありふれた日常に色彩がついている。まちの輪郭が、生活の温度がリアルに感じられる。それがアマスヤというまちだった。
 グッドバイ、エフェ。いつの日かまた会おう。


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