海を見たかった。青い奴をだ。別に黒い海でもよかったのだが、せっかくだから青い海が見てみたかった。
遺跡や歴史的建造物に溢れる国トルコのもう一つの顔、それがヨーロッパ人向けのビーチリゾートとしての顔である。しかし別にリゾートしに来ているわけではない私は、できれば青くて、それでいて欧米人のいない静かな海を擁するような寒村に行ってみたかった。
地中海とエーゲ海。どちらも魅力的だったが、どうせならその両方の交わるまちへいってみるのが面白いかもしれない。
ギョレメのオトガルで、マルマリス行きのバスが一日一便あるのを見つけた私は、さっそくそのチケットを買った。今日の夕方に出発して明日の朝に到着する夜行バスだ。
夜行の乗り物というのはどれも独特の味があるものだが、私は夜行バスという奴だけはどうしても好きになれない。なにしろ狭いし、便所だって行きたいときに行けないばかりかちょうどいいところで起こされる。それでも夜行を使うのは、ひとえに日程を有効活用したいがためである。
バスは短いときで一時間おき、長くても四時間おきくらいに休憩所やオトガルに停車する。そして目的に応じて数分から数十分停車して再び発車するのだが、言葉のわからない私はまわりの様子を伺いながら、ここでは食事をすべきなのかトイレからすぐ戻るべきなのかを判断しなくてはならない。なにしろ彼らときたら、時間になると客席を確かめもせずに発車してしまうのだ。
となりの座席に珍しく黒人が座った。大きな男だ。話してみたらフランス人で、驚いたことに私よりだいぶ年下だった。
「俺はマルマリスの船会社で船員として働いてるんだ。休暇でカッパドキアにいってきたところでね。マルマリスは初めて?そうか。きっと気に入ると思うよ」
「サフランボル、アマスヤ、カッパドキアとまわってきたけど、この国では本当に英語が通じないよね。苦労してるよ」
「本当か?カッパドキアでも?」
「いや、あそこは少しは通じたかな。でも普通の人は全然話せないじゃないか」
「そんなことはないはずだ。マルマリスに行ってみろよ。誰でも英語を話すさ」
誰でも英語を話すだって?この国に限って、そんなことはないはずだ。
そのうち朝がやってきた。バスはいくつかの小さなまちを通りすぎながらマルマリスを目指した。車窓からは古い家々に混じってピンクやブルーの高層住宅が見えた。リヴンが醜悪だといっていたトルコの現代建築だ。フランス人はそれを見て小さく、モダンライフ、と呟いた。
モダンライフ。我々の国でも団地に住むことがもてはやされた時代があった。結果、日本人はその美徳と言われていたもののことごとくを失った。トルコ人も ―あまり考えたくないことだが― モダンライフの中で、いずれはその類い稀なる暖かさを失っていくのだろうか。
バスがマルマリスに到着した。ドルムシュでセントルムへと向かった私は、こぎれいな町並みとクルーザーの係留された海辺を一目見て、大いに失望した。
それは非常に大規模に開発されたリゾート地だった。通りには巨大なショッピングセンターや瀟洒な小売店が建ち並び、値札はドイツマルクか米ドル建て。しかも通りのちょっと奥の、比較的庶民的に見えた店でドネル・ケバブを食ってみたら、なんと千円もとられてしまった。いままでのまちの倍の物価である。
誰もが英語を話すという言葉の意味もわかった。このまちでは、挨拶の言葉は「メルハバ」ではなく「ハロー」なのだ。トルコ人がハローと言い、外国人である私がメルハバと言う。確かに英語は通じたが、なんとも調子が狂った。ここは明らかに私のいるべきまちではなかった。
私はすぐにツーリストインフォメーションに飛びこむと、係員に尋ねた。
「どこか静かで落ち着いたところはないだろうか」
「宿のことかい?」
「いや、この近くで、どこか別の静かなまちに行きたいんだ」
「だったらトゥルンチがいいだろう」
「あんまりトゥーリスティックじゃないところがいいんだけど」
「そうだとも、それほどトゥーリスティックじゃないさ。静かなところだよ。あの船着き場からボートに乗っていくか、この通りをまっすぐ行った信号のところからドルムシュに乗って行くといい」
「便数は多いの?」
「ちょくちょく出てるから大丈夫だ」
私は教えられた場所からドルムシュに乗りこむと、山一つむこうのまち、トゥルンチへと向かった。非力なディーゼルエンジンは唸りを上げ、黒煙を撒き散らしながらきつい坂道を上っていった。緑は濃く、空気は清冽でどこからか潮の香りがした。
頂上付近に差し掛かったとき、斜面と斜面の間から海が顔を覗かせた。マルマリスのまちで、タイルの敷き詰められた人工的な海辺を眺めたときには気づかなかったことだが、こうして木々の間に顔を出した海は、思わず息をのむほどに青く、そして美しかった。海岸は自然の造形を留め、砂浜に人の姿はなかった。息継ぎをするようなエンジンの音が一瞬、遠くなったように思えた。
やがてドルムシュはトゥルンチに到着した。「あまりトゥーリスティックではない」というインフォメーションの言葉に嘘はなかったが、それはあくまで「マルマリスと比較して」という前提条件があってのものだった。
パラソルが立ち並び、観光ショップが軒を連ね、欧米人が闊歩するトゥルンチは、私にとっては単なるリトルマルマリスに過ぎなかった。「全然トゥーリスティックじゃないところ」に行きたいと言えば良かったかとも思ったが、考えてみたら地中海やエーゲ海に「ひっそりとした寒村」を求めた私が愚かだったのかもしれない。これだけの美しい海を見られただけでも良しとしよう。
山を越えてトゥルンチまでやっては来たが、結局あえて一泊するだけの価値を見出すことはできなかった。そうと決まれば、あとはさっさと次のまちに移動するまでだ。
いつもは日本を出たときから残り日数を数えなくてはならないような余裕のない旅をしている私にとって、今回の十二日間という日程は考えていた以上の長さだった。
だが終わりがないかのように思われたこの旅も、一週間を過ぎたころから帰国の日のことを考えなくてはならなくなってきた。イスタンブールに帰りつくまでに訪れることができるのは、あと一箇所に限られそうだった。
そうだ、ベルガマに行こう。