列車はピサヌローク駅に到着した。あたりはまだ真っ暗。構内は、早朝発の列車で帰省でもするのだろうか、沢山のタイ人で溢れていた。さて、と私は思った。これからどうしよう。この状況でできることといったら寝ることくらいだ。私は地元の人たちに混じって構内で寝ることにした。これだけ人がいれば、安全面でも問題ないだろう。私はバックパックを枕にして横になった。熱帯の夜明け前の気温は野宿にはうってつけのもので、夜行列車の中途半端なリクライニングシートのため熟睡できなかった私は、瞬く間に眠りにおちていった。
手始めに駅に隣接するマーケットに行ってみた。まち自体は決して大きくはないがマーケットは堂々たる構えで、例によって豚の生首だの香辛料だのが所狭しと並べられている。あたりには客と商人の声が飛び交い、形容し難い臭いに満ちている。
日本のマーケットがこの活力を失ってしまったのはなぜだろう。確かにアメ横に行けば人は溢れ返り景気のいい声がこだましているし、市場に行けば丁丁発止の駆け引きも見られる。でも何かが違う。日本は、かつては確かに持っていたはずの何かを、このマーケットには存在する何かを失ってしまっている。
外に出ると、いかにも地方都市といったのんびりした雰囲気が漂い、容赦なく照り付ける太陽のエゴイズムに、あたかもまち全体が飲み込まれてしまっているかのように見えた。蝉の鳴き声一つしない。彼らもこの暑さには耐えられないのだろうか。
静かで落ち着いたところだった。こんなまちで一日過ごすのもいいかもしれない。私は目についた一軒のホテルに入ってみた。
「一泊いくら?」
「ファンで四百バーツ、エアコンで五百バーツです」
タイの安宿にはエアコンがないか、あっても別料金で、その分高くなっている。想像を絶する暑さのタイにあって、エアコン無しの部屋というのはそれなりに辛いが、シャワーさえ浴びられれば、寝てしまった後はどちらでも一緒である。私はファンの部屋を見せてもらうことにした。何をいうにもこのクラスのホテルである。部屋が薄汚れているのは致し方ない。だが明かりをつけた瞬間、ヤモリが一匹物陰に逃げ込んだのを私は見逃さなかった。
「他のホテルも見てきます」
次の一軒は、エアコン付きで二百五十バーツだった。階段の下に放置された腐ったヤモリに虫たちがたかっていたが、それでもここはお得だ。私は駅から荷物を持ってくるとチェックインした。
ピサヌロークはバンコクとチェンマイとの中間に位置する都市で、まちを流れるナーン川の川縁には、水上生活者たちのハウスボートが無数に連なっているという。
歩いてナーン川まで行ってみた。流れに沿って、見渡す限り延々と続く屋根また屋根。壮観だ。家とはいえ、ボートであるからには一応水に浮いてはいるのだろうが、どれも不思議と安定感がある。川岸とは細い板で繋がっており、人々はこの板を渡って行き来する。
老人が仕事に戻ってしまったので、私は隣のボートに飛び移り、失礼して中を覗かせていただくことにした。そのボートでは、一家がテレビ鑑賞の最中だった。だがハウスボートの中にテレビがあるという事実以上に私を面食らわせたのは、部屋の中に部外者が闖入してきたというのに、家族の中の誰一人として私に関心を払おうとしないということであった。
見た限り、連綿たるハウスボートの群はそれ全体でひとつのコミュニティーを形成しているようで、個々のボートは独立性よりもむしろ共同性を強く私に意識させたが、果たしてゲマインシャフトの概念が高じてコミュニティー外のものにまで及んだ結果の無関心なのか、一介の旅行者である私には知る由もなかった。
ボートと川岸との間の狭い水域は子供たちの格好の遊び場となっており、無邪気に水と戯れる彼らの姿は、つかの間私に暑さを忘れさせてくれた。
すぐそこにはまちが広がる。そしてここにはこういう暮らしがある。それはなんだか不思議なようで、それでいてあたりまえのような、漠然とした憧憬の念を私に抱かせた。
人通りの少ない通りを歩いて、政府観光案内所へ行った。これからの行動を決めなくてはならない。ピサヌローク郊外にはタイ最初の独立国家スコータイ王朝の遺跡がある。そこへの行き方でも尋ねてみようか。担当の女性は非常に親切で、私はいくつかの美しいパンフレットをもらった上に、遺跡への詳しい行き方を聞くことができた。彼女の話によると、まずバスでスコータイに入り、そこからさらに別のバスに乗り換えなくてはならないらしい。どうやら時間もそれなりにかかりそうだ。遺跡も悪くなかったが、そろそろ喧騒に満ちたまちの空気が恋しくなってきた。
五日間の日程で三都市を巡ろうとすると移動日だらけになってしまい、夜行を使えば二日間シャワーを浴びられないことになる。それは一年で最も暑いこの季節でなくとも耐えられそうにないことだった。私はスコータイに僅かな未練を残しつつもバンコクへと戻ることにした。
次の交通機関は長距離バスである。再び鉄道に乗るという方法もあったが、せっかくだからデイタイムのバスで景色でも眺めながらのんびり戻ろうと考えたのだ。
翌朝、市バスに乗ってターミナルへと向かった。そこは人々でごった返し、うだるような暑さをさらに倍加させていた。いくつかある窓口の表記はすべてタイ語で、どの窓口に行けばどこ行きのチケットが手に入るのかさっぱりわからなかった。おまけに係員は英語を理解しないとくる。これでよく観光立国が勤まるものだ。