不覚

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 チェンマイに少数民族を訪ねるというのはどうだろう。
 インドシナ半島にはさまざまな民族が住み着いている。そして東南アジアで唯一欧米列強の軍門にくだることなく、建国以来誇り高き独立を守り通している国であるタイもまた例外ではなく、山の中に分け入っていくとそこにはつましい集落がいくつもあるという。魅力的な話ではないか。
 北のまち、チェンマイ。緑深い山々を望むタイ第二の都市、そして少数民族を訪ねるトレッキングの起点。バンコクから七百キロ以上離れたこのまちへの移動をわずか五日間の短い日程に組み込むには、空路を使うしかない。

 通貨危機の影響は未だ消えやらず、タイバーツは三.三円だった。空港の両替所で二万円を約六千バーツに両替した私は、国際線ターミナルに隣接する国内線ターミナルへと向かった。
「チェンマイに行きたいんですけど、できれば今日の…」
 私がすべてを言い終える前に、チケットカウンターの係員はあきれたような視線をよこすと無言で首を横に振った。振り返ればロビーは人で溢れている。そういうことか。
~ドンムアン空港駅~
 四日後にはタイ正月ソンクラーンを控えている。正月前は帰省客で国内交通が混雑するのはわかっていたので、その直前は避け、四日も前につくようにしたのだ。だが甘かった。すでに帰省ラッシュは始まっていた。
 夜行列車にしよう。到着まで十一時間かかるが致し方ない。四日前でこの混雑なら、日を追うごとに状況は悪くなるはずだ。とにかく一刻も早くバンコクを脱出しなくてはならなかった。
 私は空港駅へと向かうことにした。だがアジアのハブ空港を標榜するわりに構内の案内は非常に不親切で、通りの向こうの駅に行き着くまでに三回も道を尋ねなくてはならなかった。だからといって、エアポートバスの二十分の一、タクシーの二百分の一のコストで移動できる列車をあきらめるわけにはいかない。やっとの思いで辿り着いたものの、それはとても国際空港前に位置するとは思えないほど小さな駅で、線路の脇にぽつんと小屋を置いただけの代物だった。まず中央駅まで行かなくてはお話にならない。
 三バーツの切符を買ったとたんに列車がやってきた。私は急いで走り寄ると、ステップに立っている男に尋ねた。
「ファランポーン?」
 男は首をひねっている。違うのだろうか。ところが列車は私に考えるすきを与えることなく、再び動き出してしまった。停車している時間などいくらもない。ままよ。私は列車に飛び乗った。さっきの男は私に向かってバンコクバンコク、と叫んでいる。きっと乗っていれば中央駅に着くのだろう。

 恐ろしくちんたら走る列車は、一時間ほどでファランポーン中央駅に到着した。広い敷地を高い天井ですっぽりと包むドーム型の駅舎で、人いきれがする構内にはどこか整然とした雰囲気が漂っている。マレー半島をシンガポールまで国際鉄道で南下しようとする旅人の、希望に満ちた出発点でもあるファランポーン。タイ最大の駅にふさわしい構えだった。
 ずらりと並んだ窓口のひとつに向かった私は、チェンマイ行きの夜行列車の切符を買った。いや、買おうとした。しかし、係員の反応は空港でのものと同じだった。私は急いで尋ねた。
「バスなら乗れるかな?」
「バスも満席だよ」
 彼はつまらなそうにそう言った。ここに至り、私は完全に望みを断たれたことを悟った。まだ自由席の三等車で行くという手段が残されていないでもなかったが、十一時間の夜行列車で立ちっぱなしというのは到底現実味のある方法とは思えなかった。
~覇気のない犬~
 出発前に考えていたのは、まずチェンマイへ行ってみよう、ということだけであった。それが不可能となると、急遽他の行き先を考えなくてはならない。時刻表を見ると、二十三時十分にピサヌローク行きの特別急行があった。民間と共同運行のディーゼル車だ。根拠はないが、なんとなくこれなら乗れるような気がした。再び窓口に行くと、係員はこんどはにっこり笑ってチケットを発行してくれた。これでバンコクから五日間出られないという事態はひとまず免れることができた。
 時刻はまだ十八時。あと五時間は市内を観ることができる。駅舎を出た私は深呼吸をするとあたりを見渡した。駅前には、原動機付き三輪車に簡単な幌を取り付けたタイ独特の乗り物であるトゥクトゥクが停まっており、バックパックを背負った私の姿を見て運転手の一人がすばやく寄ってきた。
「どこに行くんだい?」
 バンコクは巨大都市である。みどころと言われるところは沢山あった。観光客としてここを訪れれば、まずは王宮周辺にでも行くのが定番であろう。
「パッポン」
 しかし私の口を衝いて出た言葉は、自分でもあまり考えていなかった、タイの歌舞伎町ともいわれる歓楽街の地名だった。
 渋滞の車の間を縫うように猛スピードで飛ばすトゥクトゥクにゆられ、黄昏時のぬめるような風に顔を洗われながら、私は自分の咄嗟の判断が正しかったことに満足していた。日が暮れてから遊びに行くところなんて、パッポン以外ありえないではないか。そうだとも。

 パッポン通りはわずか二、三百メートルほどの長さながら、怪しげな店がびっしりと軒を連ねている。そして日が暮れるころから露店が出始め、夜ともなるとナイトバザールで大変な賑わいとなる。
 香港の女人街みたいだな。私のパッポンへの第一印象はそれだった。でも香港のあの熱気にはかなわない。いや、気温という意味ではこちらのほうがもちろん暑いが、街自体の空気、その土地本来が持つ怪しさのようなものは香港が上だった。
 そんな思いを抱きながら露店をひやかしてまわった。時計やテープや衣料のような定番の品から用途不明のアイテムまで、いろいろなものが売られている。どこまでいっても人がひしめきあい、実際の長さより遥かに長く感じる。どこの国でも、やはりバザールは面白い。
 だが本来ここは歓楽街である。露店と露店の間から見える道沿いの店の中ではトップレスの女たちがポールにつかまって艶めかしく踊っている。ビルの壁にはきらびやかなネオンサインが輝き、闇で蠢くさまざまな種類の欲望を象徴していた。ここはタイ、パッポン通りだ。
 歓楽街とバザール。それはお互いの存在感をより高め、道行く人々の気持ちを高揚させる。ポン引きがひっきりなしに寄ってくる。マッサージィ?ソープランドォ?レズビアンショウ?なかなか熱心な奴が多く、いくら無視しても断っても、しつこくついてくる。一人が去ってしばらくすると、また別の一人が現れる。
~ワットポーの寝釈迦~
そのうちになんだか断るのもばかばかしくなってきた。せっかくこれだけの歓楽街に来ているのだ。話のネタに、ひとつショウとやらを見てやろうか。街全体に漂う曰く言い難い雰囲気と、列車やバスに乗って十円という物価の安さのために、そんな気分になってきた。例えボられたとしてもたかが知れているだろう。
「ミルダケタダネ」
 見るだけタダ。本当かよ。聞けばビールは七十バーツだという。その値段であれば悪くない。私は男についていくことにした。

 路地に連れて行かれ、狭い階段を上って二階のドアを開けると、そこには下界とはまったく異なる世界が展開されていた。
 広い部屋の中央に設けられた楕円形のステージでは、足首に下着を巻きつかせただけであとは全裸の女たちが四、五人ゆったりと踊っている。ステージのまわりには控えの踊り子たちがいる。みんな若くてきれいだ。いきなり結構な店に連れてこられてしまったらしい。この店、合法なんだろうか。
 私がどうしたものかと入り口で躊躇していると、マスターが寄ってきて私をソファー席に座らせた。
「まずは女の子達にコーラを奢ってあげてください」
「まずは、って言ったって…」
「百バーツです」
「そんなの聞いてないよ」
「サービス料ですよ」
 コーラが百バーツか。まあしかたない。ここまできたら、よもや七十バーツで帰れるなどとは流石の私も思わない。だが私が金を取り出そうとすると男は言った。
「いえいえ、五つです」
「なんで!」
「ほら、これだけ女の子がいるでしょう」
「…。これしか払わないからね、本当に」
 私はしぶしぶ五百バーツ払った。もうすでに「ミルダケタダ」の状態ではない。すぐに女の子が二人、私の両脇についた。客席にくるときには軽く服を羽織っている。そうか。ショウっていうのはこういうことか。こういう店をいうのか。
 右の女の子が言う。
「コーラ飲ませてぇ」
「ほら、これ飲めば?」
「違うの、ひゃ・く・バーツ」
 そう言って私の手を胸に持っていく。
「ひゃ、百バーツね。はいはい」
 まずいぞ、これは。すると左の子もごねる。やれやれ、一体私は何をやっているんだ。
 最初はガラガラだった店内も、夜がふけるに連れだんだん混み合ってきた。カップルで来ているものもいるし、男同士の客もいる。でも、見渡すと女の子がはべっているのは私の席だけだ。どういうことだろう。
~運河に面した家~

 左の子が耳元で小さく囁く。
「メイクラーヴ」
 え? すると、右の子も甘い声で囁く。
「メイクラーヴ」
 私は思わずたじろいでしまった。ここは売春斡旋所でもあったのだ。しかも私についているのは、店にいる十人ほどの女の子の中でも特にかわいい二人だった。
「三人にする?それとも二人がいいかしら?」
 私の体を弄びながら、なおも誘惑は続く。
「今晩の夜行でピサヌロークに行かなくちゃならないんだ。だからダメだよ」
「何時なのよ」
「午後十一時」
 そのとき時刻は既に九時半を回っていた。
「大丈夫よ。すぐ終わるわ」
 すぐ終わるわ、って…
「あなたのホテルに行く?それとも私のホテル?」
 ためしに料金を聞いてみた。五百バーツだという。ううん…。「海外にいるという開放感から」。旅行中に麻薬に手を染めてしまった日本人が口を揃えていう言葉である。そのときの私には、そんな彼らの気持ちが理解できないでもなかった。しかし言うまでもないことだが、このような場所での買春はあらゆる意味でリスキーな行為だ。
「だめだ。ピサヌロークに行くんだ!」
 私はバックパックを掴むとレジに向かった。席の番号札を示すと、男は言った。
「二千四百バーツです」
「ええっ!ビール七十バーツだろ?」
「ショウの代金です」
 抗議もむなしく、チップ込みで結局三千二百バーツも払わされる羽目になってしまった。所持金六千バーツが、初日でいきなり半減である。ゴーゴーバーとは女を買うための施設であり、特にパッポン通りの二階にあるような店は悪質なところもあるので要注意、という情報を得たのは帰国後のことであった。


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