チェンマイに少数民族を訪ねるというのはどうだろう。
インドシナ半島にはさまざまな民族が住み着いている。そして東南アジアで唯一欧米列強の軍門にくだることなく、建国以来誇り高き独立を守り通している国であるタイもまた例外ではなく、山の中に分け入っていくとそこにはつましい集落がいくつもあるという。魅力的な話ではないか。
北のまち、チェンマイ。緑深い山々を望むタイ第二の都市、そして少数民族を訪ねるトレッキングの起点。バンコクから七百キロ以上離れたこのまちへの移動をわずか五日間の短い日程に組み込むには、空路を使うしかない。
通貨危機の影響は未だ消えやらず、タイバーツは三.三円だった。空港の両替所で二万円を約六千バーツに両替した私は、国際線ターミナルに隣接する国内線ターミナルへと向かった。
「チェンマイに行きたいんですけど、できれば今日の…」
私がすべてを言い終える前に、チケットカウンターの係員はあきれたような視線をよこすと無言で首を横に振った。振り返ればロビーは人で溢れている。そういうことか。
恐ろしくちんたら走る列車は、一時間ほどでファランポーン中央駅に到着した。広い敷地を高い天井ですっぽりと包むドーム型の駅舎で、人いきれがする構内にはどこか整然とした雰囲気が漂っている。マレー半島をシンガポールまで国際鉄道で南下しようとする旅人の、希望に満ちた出発点でもあるファランポーン。タイ最大の駅にふさわしい構えだった。
ずらりと並んだ窓口のひとつに向かった私は、チェンマイ行きの夜行列車の切符を買った。いや、買おうとした。しかし、係員の反応は空港でのものと同じだった。私は急いで尋ねた。
「バスなら乗れるかな?」
「バスも満席だよ」
彼はつまらなそうにそう言った。ここに至り、私は完全に望みを断たれたことを悟った。まだ自由席の三等車で行くという手段が残されていないでもなかったが、十一時間の夜行列車で立ちっぱなしというのは到底現実味のある方法とは思えなかった。
パッポン通りはわずか二、三百メートルほどの長さながら、怪しげな店がびっしりと軒を連ねている。そして日が暮れるころから露店が出始め、夜ともなるとナイトバザールで大変な賑わいとなる。
香港の女人街みたいだな。私のパッポンへの第一印象はそれだった。でも香港のあの熱気にはかなわない。いや、気温という意味ではこちらのほうがもちろん暑いが、街自体の空気、その土地本来が持つ怪しさのようなものは香港が上だった。
そんな思いを抱きながら露店をひやかしてまわった。時計やテープや衣料のような定番の品から用途不明のアイテムまで、いろいろなものが売られている。どこまでいっても人がひしめきあい、実際の長さより遥かに長く感じる。どこの国でも、やはりバザールは面白い。
だが本来ここは歓楽街である。露店と露店の間から見える道沿いの店の中ではトップレスの女たちがポールにつかまって艶めかしく踊っている。ビルの壁にはきらびやかなネオンサインが輝き、闇で蠢くさまざまな種類の欲望を象徴していた。ここはタイ、パッポン通りだ。
歓楽街とバザール。それはお互いの存在感をより高め、道行く人々の気持ちを高揚させる。ポン引きがひっきりなしに寄ってくる。マッサージィ?ソープランドォ?レズビアンショウ?なかなか熱心な奴が多く、いくら無視しても断っても、しつこくついてくる。一人が去ってしばらくすると、また別の一人が現れる。
路地に連れて行かれ、狭い階段を上って二階のドアを開けると、そこには下界とはまったく異なる世界が展開されていた。
広い部屋の中央に設けられた楕円形のステージでは、足首に下着を巻きつかせただけであとは全裸の女たちが四、五人ゆったりと踊っている。ステージのまわりには控えの踊り子たちがいる。みんな若くてきれいだ。いきなり結構な店に連れてこられてしまったらしい。この店、合法なんだろうか。
私がどうしたものかと入り口で躊躇していると、マスターが寄ってきて私をソファー席に座らせた。
「まずは女の子達にコーラを奢ってあげてください」
「まずは、って言ったって…」
「百バーツです」
「そんなの聞いてないよ」
「サービス料ですよ」
コーラが百バーツか。まあしかたない。ここまできたら、よもや七十バーツで帰れるなどとは流石の私も思わない。だが私が金を取り出そうとすると男は言った。
「いえいえ、五つです」
「なんで!」
「ほら、これだけ女の子がいるでしょう」
「…。これしか払わないからね、本当に」
私はしぶしぶ五百バーツ払った。もうすでに「ミルダケタダ」の状態ではない。すぐに女の子が二人、私の両脇についた。客席にくるときには軽く服を羽織っている。そうか。ショウっていうのはこういうことか。こういう店をいうのか。
右の女の子が言う。
「コーラ飲ませてぇ」
「ほら、これ飲めば?」
「違うの、ひゃ・く・バーツ」
そう言って私の手を胸に持っていく。
「ひゃ、百バーツね。はいはい」
まずいぞ、これは。すると左の子もごねる。やれやれ、一体私は何をやっているんだ。
最初はガラガラだった店内も、夜がふけるに連れだんだん混み合ってきた。カップルで来ているものもいるし、男同士の客もいる。でも、見渡すと女の子がはべっているのは私の席だけだ。どういうことだろう。