マンダレー

地図表示

 今から仮眠を取ると一日が終わってしまいそうだったので、まずはまちに繰り出してみた。
 広い。マンダレーのまちは広かった。市域自体はヤンゴンのほうが広いのだろうが、ダウンタウンに限って言えば、ヤンゴンが歩いてでもなんとか移動できるのに比べると、マンダレーではだいぶ無理があった。そこで登場するマンダレーの主たる交通機関がサイカー、自転車にサイドカーを取り付けた人力車である。
 サイカーの運転手はミャンマー人の中でも貧しいほうに属する。体を張って私を運んでくれるそんな彼らに対していつものように値切るのは少々心苦しかったが、外人は金離れが良いという誤解を彼らに与えてはいけない、それは後に続く観光客のためにもならない、という妙な使命感に燃えて、結局毎回値切ってしまった。
 一つ言えるのは、この国の商売人は、相手が外国人であってもどこかの国のように法外な値段を吹っかけることがない、あるいは少ないと言うことだった。それは湯水のごとく金を使う観光客が少ないせいもあっただろうし、国民性のなせる部分も大であったろう。
 私は二百といえば百五十、千と言えば七百と言うように、相手の折れることのできる範囲を睨みながらかつ、プライドの高い彼らの気分を害さないように値切るコツを掴んでいた。

~青空床屋~

 男がついてきた。
「どこに行くんだい?」
「まちをぶらぶらとね」
「その後は?」
「インワにでも行こうかな」
「なにで?」
「トラックバスで」
「トラックバスはやめておけ、危険だし疲れる。俺のタクシーなら安全かつ快適だ。あれを見てくれ、日本車だよ」
 一人を振り切ると別の一人がついてきた。同じようなやり取りをした後、値段を聞いてみた。今度の男のほうが人が良さそうに見えたのだ。
「アマラプラ、インワ、ザガインの三つを巡って四千チャットだ」
 高い。高すぎる。それに三つものまちをまわるつもりはなかった。駆け足で多くを見ても疲れるだけだ。数は少なくても腰を据えて見ようと思っていた。
「インワだけでいいんだ」
 インワはマンダレーから十数キロ離れた、エーヤワディ河の向こう岸にある小さな古都で、途中、渡し舟に乗って河を渡る必要があった。
 今回、国内で陸海空すべての交通機関を制覇しようという密かな企みを抱いていた私にとって、舟は、どうしても一度は乗っておくべき乗り物だった。 だから、インワだった。
「一個所だけなら、二千チャットでいいよ」
 そう男は言った。十キロ以上離れたまちまでの観光にタクシーで一日付き合ってもらって二千チャットなら、あながち暴利とも言えなかった。私は千五百チャットで手を打った。

~インワへの渡し舟~

 船着き場につくと、私は運転手サン氏と共に車を降り、四チャット払って渡し舟に乗った。これがすさまじい代物で、水面に見えるのは、囲いすらない十×五メートルくらいの平たい木の床と、その上に載った小さな操縦小屋だけである。そこに無数の人間はもちろん、動物や二輪車、果ては馬車や自動車までもが乗るのだ。当然、自動車類の積載は渡し板を用いて慎重に行われなくてはならないが、過去に何台もの車が脱輪して水没したとサン氏は言う。
 数十メートルの河を渡るには数分あれば事足りる。我々は向こう岸に降り立つと三百チャットで馬車をチャーターし、今やあまりに寂れたかつての首都をまわった。そう、馬車もまた立派に現役の交通機関である。観光用としてではなく、地元の人が手軽な乗り合い用として利用しているのがすばらしい。だが、そんな状況もいつまでつづくことだろう。
 途中、我々の馬車と自動車との、すれ違いざまの接触事故があった。この国では、自動車に絡む事故はたとえ対物でも収監されるらしい。御者と相手の運転手も相当揉めていたようだったが、戻ってきた御者にサン氏を通して尋ねると、問題ない、という。本当にそうであればいいが。

 インワを一周し、さあ帰ろうという彼に、私はちょっと待ってほしいと頼んでみた。 船着き場の近くの集落だけでも、一人でゆっくりと歩いて見てみたかったのだ。彼は快諾してくれ、三十分後にここで、と約束すると私は集落に入っていった。
 だが観光地化したインワの集落では、私は単なる一観光客でしかなかった。集落の人々も、まったく私に心を開いてくれようとはしなかった。私は疎外感を味わってマンダレーに戻った。

~インワの監視塔で~

 市街に到着すると、サン氏が尋ねた。
「明日はどうするんだい?」
「まだ決めていないんだ」
「明日も俺が迎えに行こう」
 このまちでもう一日過ごすという選択肢はないな、と思った私は急いで考えた。
「え、いやあ、でもいいよ。そうだな、明日はバガンにでも行こうかと思うんだ」
「なにで?」
「それも決めていない」
「バスなら一日三便あるし、エーヤワディー河を下る船なら明日は高速船の日だから八時間で行ける。昼しかないけどな」
「鉄道は?」
「鉄道か…。駅に行って聞いてみよう」
 鉄道にも是非乗ってみたかった。だがバガンには駅はないので、鉄道を使うと何かと面倒なはずであった。だから、きっと駄目だろうけど、という気持ちで軽く尋ねてみたのだ。

 二人で駅の切符前売り所に行った。彼は窓口の係員になにやら尋ねたあと、私にこう言った。
「明日の十時に、バガン行きの列車があるらしい」
 バガン行き?なんだそりゃ。それに十時か。早いなあ。
「それで、いくらなの?」
「アッパークラスで九ドルだそうだ」
 それはおかしい。そもそもバガンに列車で行けるなどと言う話は初耳だったし、途中の駅までですら数十ドルはするはずなのだ。
「アッパーで九ドルだって?途中で乗り換えがあるの?」
「乗り換え?そんなものはないさ、バガン行きだから」
「でも十時は早いよ、遅いのはないの?」
 彼は再び係員に尋ねてくれた。
「え、午後?午後の十時なの?」
 どうやらそれは夜行列車のようだった。所要時間は七時間、朝の五時にバガン着だと言う。夜行ということであれば、木製のシートであるオーディナリークラスはちょっと厳しい。思ったより運賃が安かったこともあって、私はアッパーを買うことにした。
 係員は、藁半紙でできた手書きのチケットを発行するのに大変な時間をかけた。彼はまったく英語が分からないらしく、以前に発券されたチケットの写しを見ながら、「外人はドル払い」というところを、"FOR EIGNER FOR DOLLARS"と書いて、EIGNERってなんだろうなどと同僚と相談している。そして同僚は、さあ、と首をかしげるのだ。もしサン氏抜きでチケットを買いにきていたら、どうにもならないところだった。
 私は彼に礼を言うと、再びホテル前まで乗せていってもらった。
「十時の列車なら、九時には出たほうがいいな。明日は九時に迎えに行くから」
 そう言って彼のタクシーは去っていった。
 鉄道のないはずのバガンへ、なぜか安いアッパーチケットで夜行列車に乗っていく。果たして本当に目指すところに行き着けるのかどうか保証はまったくなかったが、もしあさっての方向に連れて行かれたとしたら、それもまた可だ。私はなにやら楽しくなってきた。
 だがマンダレーのまち自体にはさほど魅力が感じられなかった。ヤンゴンのような猥雑で雑多な空気に満ちているわけでもなかったし、まちの随所に存在するパゴダも、マンダレーがかつて王都だったことを物語る広大な王宮も、私にとっては多くの観光名所の中の一つに過ぎなかった。私は何をしにこんな国まで来たのだろう。

~僧侶と私~

 その日の晩、私はサイカーを往復四百チャットでチャーターすると市街の外れにある小高い丘陵、マンダレーヒルの麓までこいでもらい、一人で暗く人気の途絶えた石段を登って頂上を目指した。すると暗闇からぬっ、と役人が現れた。
「外国人は入山に三ドル必要です」
 こんな時間にもまだ取るのか。
「悪いけどドル持ってないんですよ」
  山登りに大枚三ドルも払いたくはなかったので、試しにそう言ってみた。
「わかりました。スペシャルディスカウントで二ドルで結構です」
 おいおい、いやしくも収入官吏が個人の一存でスペシャルディスカウントか。だが、これは行けると踏んだ私は更にねばった。
「だから、ドル持ってないんですってば」
「ううん…」
「でもチャットならあります」
「じゃあ、五百チャット払って下さい」
 結局言い値の半額近くまで値引かせることができたことになる。だが、彼の発行してくれた入山証は通番の振られた正規のものだった。どう考えても私の五百チャットは彼の小遣いになるとしか思えないが、この国ではそういう不条理もまかり通るのだ。
 石段は、途中に大きな仏像の置かれたお堂のある踊り場を何箇所かはさんで、延々と、どこまでも上へ上へと続いていた。三十分も上りつづけただろうか、私は遂に頂上に到着した。
 そこからはマンダレーの市街が一望できた。ほとんど消え入りそうな薄暗い夜景の中で、マンダレーでの最高級外資系ホテル、ノボテル・マンダレーだけが煌々と輝いている。自家発電でふんだんに電力を供給しているのだろう。脳裏にノボテルの姿が焼き付いたまま、釈然としない気持ちで私は丘を下りた。

 明日はピンウールィンに行こう。何も見どころがないとされる、英国植民地時代の避暑地、ピンウールィンへ。見どころがないからこその何かが、そこにはきっとあるはずだ。そこでもし何も見つけられなかったとしたら―。
 それは、私が国の選択を誤ったのだ。


次 前 AKIRA Travels ミャンマー旅行記 PHOTO