新しい関係へ

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 バスはまだ辺りも暗い明け方五時にマラケシュに到着した。しばらくターミナルのカフェで休んでから、駅を探しに歩き出した。今日は明日のカサブランカ行きに備えて駅前のホテルにしようと思っていた。しかし地図と照合してもここがどこだかわからない。CTMターミナルのはずなのだが、地図の示す地形とあまりにも異なっているのだ。仕方がないので適当に歩き回ってみたが、どうやっても駅に行きつけない。
 荷物を背負ったまま一時間も放浪しただろうか。私は覚悟を決めて街行くモロッコ人に尋ねることにした。だがここは新市街とはいっても郊外、英語で話しかけてくる怪しい奴もおらず、純粋な生活者たちに満ちていた。どうやら初の本格的アラビア語会話をしなければならないようだった。
「すみません、駅はどちらですか」
 人の良さそうな男に会話集の例文通り尋ねてみた。すると彼は私の出てきたバスターミナルを指差す。違う違う。私は急いで「鉄道」という単語を引き、言い添えた。すると彼は別の方向を指差す。
「ありがとう、さようなら」
 そんなことを何度か繰り返しているうちに、私はバスの到着したターミナルが国営ターミナルではなく長距離バス専用ターミナルであったことに気づいた。そうとわかれば駅までは行ける。簡単なことだ。そう思ったときに英語で話しかけられた。
「どちらまで?」
「鉄道の駅に」
「駅ね、それはこっちですからついてらっしゃい」
「いや、もうわかってるんです。一人で行けますからお構いなく」
 するとその男は言った。
「なにかお礼の品は?」
 やれやれ。残念ながらもう私は道はわかってたんだよ。あんたの一言二言に対してくれてやるプレゼントなんかないんだ。私は無視してすたすた歩き出した。
「フレンドォ~、待ってくれ、なにかプレゼントはぁ?」
 背後では男がそう叫んでいる。虫唾が走った。
 その時私は重大な決意をした。今日から私は英語を聞かない、話さない。決して。それだけの決意を守り通すことができれば、この国では大概のトラブルは防げるはずだ。

 駅はまだ閉まっていた。七時前である。まずは駅前のホテルに入ってみることにした。げ。早速英語を使わなくてはならない。まあホテルは例外としよう。
「私はバスでさっき着いたんだ。とても疲れている。今すぐチェックインさせてもらえないかな?」
 十二時からです、と冷たい応えが返ってきた。昨日、暑い中一日中ロバの糞にまみれたメディナの中を歩きまわり、夜行バスで十分な睡眠もとれなかった私は、なんとしてでもシャワーを浴びたかった。このまま昼まで待つなんて考えられない。でもこんな早朝にチェックインさせてくれるホテルなんてあるんだろうか?
 なければ探すまでだ。私は片っ端から当たり始めた。どこも十一時か十二時だ。しかし五件目に、遂にOKの答えが返ってきた。私は事前に部屋を見せてもらうこともせずにチェックインし、シャワーを浴びて仮眠をとった。

~住宅街のひとびと~

 十時だ。昨日の出来事で塞ぎ込んでいた私はこのまま夜まで寝つづけるという甘い誘惑に駆られたが、今日は新たな目標があった。英語を聞かない、話さない。そしてもう一つ。アラビア語をしゃべること。やはり郷に入っては郷に従うべきであった。英語なんか使っている場合ではなかったのだ。
 そのために考えだした大いなる挑戦、それは「住宅地をゆく」ことだった。スークとは所詮商店街、金を稼いでなんぼの世界である。そこに心暖まる交流など生まれようはずもなかった。なぜそれに気づかなかったのか。

 私は駅前から乗り合いバスに乗ってマラケシュのへそ、フナ広場へと向かった。乗り合いバスはモロッコ市民の乗り物。格安な代わりにシート表皮などはぼろぼろで、崩れたスポンジが剥き出しというありさま。途中、バイオリン弾きの青年が乗ってきて、陽気なアラビアンメロディーをひとしきり奏でると降りていった。不思議な街だ。
 フナ広場には各地から連日大道芸人たちが集まってさまざまな芸を繰り広げる。正に毎日がお祭りの連続、そんな広場だ。さまざまな屋台が軒を連ね、味を競っている。そしてフナ広場は、広大なマラケシュのメディナへの入り口でもある。
 私はこの新しい街で、新しい関係を求めてメディナへと入っていった。フナ広場の賑わいが最高潮に達するのは午後八時頃。まだまだ時間はあった。

 メディナに入るといつも通り自称ガイドが寄ってくる。 何処から来たの、ガイドなしでは危険だよ、二百ディラハムだよ、私は学生、ガイドじゃないよ。そういったすべての英語を聞き流す。それでも当然ついてくる奴はついてくる。
「ねえ、どうしたの、英語わからないの?」
 そうさ、私は英語がわからないのだ、今日からは。わたしは心の中でそうつぶやき、金魚の糞どもがある程度の数になったところで頃合いや良し、と振り返ると、懐かしの日本語でゆっくりとこう言ってやった。
「あなたたちの言っていることはわからないなあ」
 一瞬鼻白んだような顔つきをした彼らは、この男とは話が通じないらしいと悟ったのか、徐々に去っていった。まずは大成功だ。
 言い寄ってくる呼び込みたちは完全に無視、目指すはただ住宅地のみである。だが住宅地への潜入はしばしば失敗する。モロッコの青年は、住宅地へ入ろうとする異邦人を見かけるとほぼ必ず、行けないよと言うのだ。そんなとき私はちょっと奥を覗く振りをして、首を振りながら戻っていく。この先に家しかないのは百も承知なのだが、そう説明したところで却って怪しまれるのがおちだろう。
 私はそうやって何度も撃退されつつも、女性や爺さんしかいないようなところを注意深く選んである住宅地に潜入した。

 通りでボール遊びをしている子供たちがいた。私が試みにバレーを教えると彼らはたちまち夢中になった。様々な下心を抱えた大人とは異なり子供たちは純粋だ。金の価値も社会の仕組みも知らない子供たちは、好奇心だけで生きていけるのだ。
 私は次に女の子二人組に出会った。私がアラビア語で挨拶をすると二人は笑いながら何やら話しかけてきた。外国人が自分たちの言葉をしゃべる、というのは彼らにとっては大きな喜びのようだ。それは言語的マイノリティーである我々日本人の感覚とも相通じるところがある。
 しかし残念ながらアラビア語を聞き取るすべを持たない私は、本を見ながら簡単な自己紹介をするのが精一杯だった。それでも私が写真を撮ろうとすると二人でポーズをとってくれた。礼を言って立ち去ろうとすると、片方の少女がいたずらっぽい笑みを浮かべながら私を手招きする。なんだろう?
 彼女について狭い家の階段を上っていくと、小さな部屋に、小さな子供たちがいた。どうやらそこは幼稚園のようだった。彼女は就学年齢には達しているようだったので、ただ単に私に幼稚園を見せたかったのだろう。
 女の先生は私に気付くと驚いて追い返そうとした。ところが私がアラビア語で挨拶すると急に態度を変え、にこやかに右手を差し出してきた。言葉とはそういうものだったのだ。私は幼稚園の子供たちにも挨拶をし、まだ誰が来たかも理解できない彼らと握手してそこを後にした。
 昨日までに比べると、コミュニケーションの量ではお粗末なものだった。互いの名前を言いあうのがせいぜいなのだ。しかし質の面では比べ物にならなかった。私はどこまでも豊かな気持ちだった。こういう気持ちになれただけでも、はるばるアフリカまでやって来た甲斐があったというものだ。

 私は一旦メディナを出ると、公園で小休止をとった。公園には小学校中学年くらいの子供たちがいて、そのうち一人が本を読む私のそばに寄って手元を覗き込み始めた。こわごわ遠巻きに眺めていたほかの子供たちも寄ってきて、私の本を覗き込む。私が読んでいたのはアラビア語会話の本だった。彼らはもう大喜びである。
 私は例文を読み上げた。すると子供たちがなにか言ってきた。あなたはアラビア語が読めるのか、と聞いているようだ。言葉を知らなくても、雰囲気から何をいっているのかはある程度掴める。読めない、と私は答えたが彼らは不思議そうな顔をした。だって読んでるじゃないか、と言いたげである。
 私はベンチに座ったまま、他の例文を読み始めた。カタカナの例文を読む私と一緒に、彼らはアラビア文字のパートを笑いながら読んでいる。本当に楽しそうだ。私のまわりにはすでに人だかりができていた。数字の読み方のページを開いた私は、一から始めて百まで、そして千、万、十万と進んでいった。百万のところで彼らは大はしゃぎ。おおきい、おおきい、と叫んでいるようだ。
 そのとき男が近づいてきた。こんにちは、どこから来たの、 と英語で尋ねる男に、気が緩んでいた私はついうっかりヨコハマから、と答えてしまった。
「俺はミュージシャンなんだ」
「へえ、それはすばらしい。どんな音楽をやるんですか」
「そこで楽器の店をやっているから是非来て欲しい、歓迎するよ」
 あ、やっぱりそのくちね。私は後で行くから、といってその男を追いやった。ああいう輩がうろちょろし始めた以上、もうここに長居することもできない。私が子供たちに別れを告げ、公園を出ようとすると、さっきの男が入り口でパンを齧りながら待っていた。私が無視して歩き去ろうとすると、男は驚き、火をつけようとくわえかけた煙草を落として叫んだ。
「ちょっと待てよ、これを食い終わったらすぐ行くから、すぐだよ、すぐ」
 誰が待つか、阿呆。私は早足で歩み去った。

~メディナの城壁~

 メディアに戻った私は、新たな住宅地を訪ねた。戸口にはおかあさんと子供がいた。
「こんにちは」
 アラビア語でこんにちは(サラーモ・アリーコム)とは、あなたがたに平安がありますように、という意味である。そのためこの挨拶を受けた人は相手もイスラム教徒だと思い、にこやかに打ち解けてくれるのだ。
 子供を抱きしめ警戒の色もあらわだった母親は、挨拶の言葉を聞くと急に表情を和らげ、私の差し出した右手を微笑みながら握り返してくれた。アラビア語を話されるんですね、とやはり聞いてきたようだ。ラー(いいえ)。私はアキラといいます、日本人です。あなたに会えてうれしい。そういうと、彼女はうれしそうにいろいろしゃべりだした。私は雰囲気から適当に返事をし、和やかに話をすることができた。
 写真を撮ってもらえますか、というお願いを彼女は快諾してくれた。女性たちは自分自身の写真を撮られるのは嫌がるが、自分の子供ならいいようだ。私は礼を言ってその親子とも別れた。

 次に私はいくつかの拒絶にもあいながら、また別の住宅街に潜り込むことに成功した。そこでは子供たちがボール蹴りをしていた。私も蹴り返してやる。それだけのことでもう通じ合うことができるのだ。
 そこは子供の多い街区だったらしく、何人かの子供たちが集まってきてキャーキャーいいながら一緒に遊ぶことになってしまった。
 おそるおそる近づいてきた男の子にガオ、と私が脅かすような振りをしたものだから彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げたが、それが冗談だとわかると大笑いしながら戻ってきた。そして私たちはタップを踏んだり、踊ったり、おどけたりしなからみんなで歩き始めた。ずっと腹を抱えて笑いっぱなしの子もいれば、微笑みを浮かべたままスキップを続ける子もいる。みんな突然現れた異邦人がおかしくてたまらないといった様子だった。
 私たちは踊りながら動きつづけた。そこに言葉はなかったが、言葉を使った以上のコミュニケーションが取れていた。私たちはいわば一心同体だった。そのころには私についてくるものは少なく見積もっても十人は下らなかったろう。大変な賑わいである。
 ふと気づくとスークに出ていた。誰もがこのハーメルンの笛吹きの如き集団に注目していたが、そんなことはどうでも良かった。ついさっき言葉の威力に驚いた私は、今度は言葉を使わないコミュニケーションがこれほどまでに濃密で楽しいということを知ったのだ。私の中のあらゆる警戒心は雲散し、霧消していた。
 事件が起きたのはその時だった。

~自転車屋~

 男が赤いバッグを掲げてさっと私の目の前に現れ、道を塞いだ。
「ファイナルプライスはいくらだ?ファイナルプライスはいくらだ?」
 大声でそう連呼しながら私に体をぴったりつけて行く手を塞ぐ。私は進退窮まってしまった。いきなり現れて最終価格もないだろう。それにこの汚いバッグはなんだ?楽しい気分は一気に吹き飛んだ。とにかく同じセリフばかり叫びつづけてうるさく、なにより前に進ませてもらえないので私は思い切りその男を押しのけた。すると、意外にも男はあっさりと去っていった。
 私はまわりで見守っていた子供たちを見やると、とんだ災難だったね、というジェスチャーをした。さあ行こう、と促したが彼らは動こうとしない。いったいどうしたんだ?
 彼らは私の腰の辺りを指差している。ああそうか、ウエストポーチを閉めていなかったんだね。私はチャックを閉めた。
 おや?本当に開けっ放しだったろうか。念のため中をあらためると―。
 ワールドクロックがなくなっていた。

 スリが多いといわれる国で、なかでも治安の悪いスークに来ているのに、これまで何も盗まれる気配すらなかったためにすっかり油断していたのだ。幸い、鎖で腰に固定してあった財布と、腹巻きに格納しておいたパスポートや航空券は無事だったが、アブドゥルがあれほど欲しがっていたクロック、私の旅の必需品である時計が盗まれてしまった。こんなことなら彼にあげるのだったと思ったが、あとのまつりである。
 子供たちは指差す。あっちに行ったよ、と。そうか、追いかけよう。
 私たちは走り出した。だがなにしろ迷宮都市である。分かれ道のたびに彼らは足をとめ、しばらく考えた後こっちだ、と指差して駆けて行く。そしてそれを追う私。まるで映画のワンシーンのようではないか。状況も顧みずに私はそんなことを考えていた。しかし所詮は子供の足。スリに追い付けるはずもなく、そのうちみんな立ち止まってしまった。
 彼らは私に向かってしきりに訴えてくる。どうやら犯人は頬に傷のある男だったと言っているようだ。だが情けないことに、私は頬の傷はおろか、年格好や服の色、なに一つとして覚えていなかった。
 そこへ一人の恰幅のいい男が近づいてきた。
「なにが起こったんだ?」
「時計を盗まれたんです」
「現金やパスポートは?」
「無事です」
「では警察に行くといい。警察はすぐそこだよ」
 警察とは考えもしなかった。アラビア語を話す警官にどうやって状況を説明できようか。それに時計だってそう高いものではないのだ。私はそう思い、しばらく考えた上で、犯人を許そうと思うと言った。男はそれを聞くと、残念だ、警察ならすぐそこだから私が連れていってやれるのだか、と言い、通訳をしても構わないとまで言ってくれた。しかし私はその申し出を丁重に断り、一人うなだれてそこを去った。とにかく英語を話す奴は信用できないのだ。

 ところが私が歩いていった先は出口とは逆方向だったため、しかたなく再びそこへ戻ってくることになってしまった。さっきの男は子供たちと話をしている。そして前を通り過ぎようとする私に向かってこう言った。
「どうだ、気が変わったか?君が犯人を許せばそいつは必ず再犯に及ぶぞ。だが警察に行けば九割の確率で犯人は捕まるのだ。なぜなら犯人は盗んだ品を市場で売りさばこうとするからだ。さあ、警察へ行こう。決めるのは君だ」
 悩む私に向かって、男は続けた。
「ここには良い奴と悪い奴とがいる。君は悪い奴をのさばらせるのか?」
 そうまで言われると私の中の正義感も黙ってはいなかった。
「警察へ行きます」
 そうか、それはいい、そういって彼はそばに停めてあったおんぼろ車に私を乗せてくれた。私は急いで彼に言った。
「子供たちも連れて行きましょう。彼らならきっと状況を説明できる」
 犯人を覚えていない私はそう言って子供たちを説得するよう頼んだが、結局誰もついてきてはくれなかった。さすがに見知らぬ車に乗って自分たちの領域を去るほど彼らも無警戒ではなかったのだ。

 車は狭く複雑な路地を、人ごみの中を縫うように走り、やがて警察に到着した。彼は手短にアラビア語で警官に事情を説明し、しばらくやり取りをした後で私にこう言った。
「ここでは旅行者の盗難は取り扱っていないらしい。旅行者窓口のある第四分署に行かなくてはならないようだが、残念だがそこから先は私では力になれない。旅行者しか入れないのだ」
 私は一人ではとても説明できないと泣き付いたが、彼は、大丈夫、そこには英語を理解する警官がいるよといって私を励ましてくれた。
 彼はモロッコ系アメリカ人で、ロングバケーションで国に戻ってきているシェフだという。私は日本企業の休暇制度が如何に貧しいものであるかを話し、彼の暮らしぶりを聞いた。私を第四分署まで送ってくれた彼は、君の勇気にかかっているんだ、頑張れ、と言って去っていった。米国に来た際には是非私のところに寄るといい、といって住所も渡してくれた。
 それは私がこの国で初めて受けた、無償の親切だった。私は感動し、何度も礼を言って別れたが、悲しいかな、彼はアメリカ人だったのだ。

~左手で洗うアラブ式便所~

 さて、窓口に行った私は受付の警官に事情を説明した。ところが警官はこう言うのだ。
「それはここではない、第二分署だ。ここからタクシーを拾っていきたまえ」
 しかたなくタクシーで第二分署に乗り付けた私は、そこでも受理を拒否される。
「そういうことならここではありませんな、他へ行ってください」
 他ってどこですか、と食い下がる私の質問には答えずに、警官は笛を吹いてタクシーを停めると私を押し込め、運転手に何やらアラビア語でつぶやいて去っていった。こうなったらもう行くところまで行くしかない。
 だがしばらく後、着いた先は第四分署、それはまさについさっき私を追い出した署だった。やれやれ。
 うんざりした私は、第二に行ったらここだといわれましたよ、といってやった。制服警官は引っ込み、私服刑事を連れてくる。刑事も少し英語を話した。事情を説明すると刑事は引っ込み、今度はバットマンの悪役、ペンギンマンそっくりの体型をした警察署長と、強面の刑事部長らしき人物を連れてきた。皆が一斉に敬礼した後握手する。ここでも握手だ。ところが署長と部長は英語が話せない。彼らはなにやらやり取りをした後、私にここで待ってろと言うと引っ込んでしまった。
 私は冷たい石のベンチに座って待った。目の前には代用監獄、脇にはアラビア語のタイプライター。

 しばらくして警官がやってくると、事情聴取が始まった。私は氏名、住所にはじまり事件の状況にいたるまでを説明したが、母国語でもやったことのない作業を異国の地で、決して得意とは言えない英語を使って、しかも英語を母国語としない連中にするのだからそれは大変な苦労を要した。
 彼らは難しい文型や単語を理解しない。もっとも、だからこそ私程度の英語力でもコミュニケーションが取れたのかもしれないが。"I had my watch stolen."では意味がわからないといわれ、"I was stolen my watch."と言い換えたら通ったのには苦笑した。
 犯人の特徴を問われ、場所を詳しく述べるよう求められたが、そのいずれをもはっきりとはわからない私は苦し紛れの答弁をするしかなかった。そして私の供述を仮調書にまとめると警官は去っていった。

 だいぶ待ち、今度は刑事がやってくると先ほどの仮調書をもとに正式な調書をタイプし始めた。たまに質問が入る。しかし少しやっては邪魔が入り、そのたびごとに数十分単位で作業が中断される。顔を腫らした子供を連れた母親が泣きながらやってきたり、なにかの犯人が連行されてきて私の目の前で手錠を掛けられたり。
 いったい何時間待っただろう。時計のない私は時刻がわからない。うつらうつらしていると部長がやってきた。やっと終わりか、と安堵の吐息を漏らした私に、彼はなにやらアラビア語で話しかけてきた。私は脇にいる警官に助けを求めた。
「なんて言っているんですか?」
「君がいつまでここにいるかと聞いているんだよ」
「明日の昼発ちます」
「では明日の九時にここにおいで」
 これだけ待たせた挙句に続きは明日、ときたか。部長は調書にサインをさせると去っていった。やれやれ、これがアラブのお役所か。

 どうしても時計が必要だった私がスークで安物腕時計(ちなみにこの時計は翌日壊れた)を買うと、時は既に十時を回っていた。事件発生から、はや五時間が経過していたのだ。フナ広場のもっとも賑わう時刻はとうに過ぎ去っていた。
 観光する気力を失った私は、ホテルへ帰って近くの軽食屋で遅めの夕食をとることにした。レストランのメニュー表記は、フランス語か、フランス語アラビア語併記である。英語のメニューをおいてあるかどうかを尋ねはするが、よほどの高級店でもない限り、そんなものはまずない。予期せぬゲテモノが出てきても困るので、私はいつも通りタジンを注文して食い、戻って寝た。
 明日以降は、安心してモーニングコールが頼めるレベルのホテルに泊まらなくてはならなかった。


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