ティンバーをめぐって

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 朝八時半に私はプチでフナ広場に向かった。
 その頃には私は、観光客にはメータを使わないとされるモロッコのタクシーにメータを使わせる方法を独自に会得していた。乗り込むや否や、足下のメータを指差して、カウンタ、カウンタ、と叫ぶのである。すると大抵、ウイ、ウイ、と答えてメータのスイッチを入れてくれる。後は行き先を言うだけだ。料金交渉の手間も省けて一石二鳥。
~モスクを望む~

 フナ広場につくと、私はそこから第四分署まで歩いていった。時刻は九時の十分前。
 指定された第二取調室に行くと、刑事は私に第三で待っていろといった。いわれた通りに第三に入ったものの、そこは小さな机が二つあるだけの薄暗い無人の部屋で、どうにも嫌な予感がした。今日もこのまま何時間も捨て置かれるのではないか?
 私は廊下に出て刑事をつかまえると、言った。
「今日の昼カサブランカへ発たなくてはいけないんです。だから時間がないんだ」
 刑事はわかった、というとしばらくして昨日の刑事部長をつれてきた。やった。これで申告書を貰っておさらばだ。
 ところがそうは問屋が卸さなかった。部長は、俺についてこいといって進んでいく。これはまずい。英語を話せない部長と二人きりだ。私は彼の車に乗せられ、今度はフナ広場の前のマラケシュ警察の総本山といった趣の建物に連れて行かれた。当然二人のあいだに会話はない。
 部長は私を本署の若造に引き渡すと帰っていった。若造は私を二階の第十八取調室に連行すると消え去った。そこも無人だ。これは本格的に困ったことになった。誰も知っている奴のいない警察署内で、一人取り残されてしまったのだ。いっそ逃げ出そうか、でも捕まったらどうしよう。
 そんなことを考えながら何もできず三十分ほど待っていると、サスペンダーも決まったさわやかな青年刑事が入ってきた。助かった。
「英語を話せる人を呼んでください」
 そうアラビア語で頼んでみた。すると、自分も少しなら話せるという。聞けば、彼も盗難発生の事実以外ほとんど何も知らされていないとのことだったので、私は事件発生からここへ至るまでの経緯を再度簡単に説明した。すると彼はこう言うのだ。
「それでは明日の同じ時刻にもう一度ここへいらっしゃい」
 私はあっけに取られた。
「いえ、ですから『いま』申告書が必要なんですよ。今日の昼にはここを発つんです」
 彼は少し考え込み、何箇所かに電話を掛けた後でこう言った。
「ティンバーが必要だからその辺で買ってきてくれないか」
「ティンバーってなんですか、それにその辺ってどこのことでしょう」
「ティンバーはティンバーだよ」
 彼はそう言って紙切れにフランス語で「申告書のためのティンバー二十ディラハム」と書くと、窓からフナ広場を指差し、あそこのコーヒーショップのそばの店でこれを渡して買ってこい、といって私を部屋から出した。

~テレブティック~

 コーヒーショップのそばにはいくつもの店があった。署を出た私は、まずは煙草屋に入ってみた。私が紙を渡すと、主人はなにやら言っている。紙がフランス語だったためか、フランス語をしゃべっているようだったがよくわからない。少なくともここには置いていないことは確かなようだったので次に隣の写真屋に行ってみた。おやじは紙を見て、「ポステ」だといっているようだった。そうか、切手か。きっと明日以降に出来上がった申告書を郵送してくれるに違いない。
 だが郵便局に行った私はなぜかそこでも拒否にあい、八方ふさがりになってしまった。局員は「タバッコ」と言っていたようだが、煙草屋ならさっき行った。
 いい機会だから逃げ出そうか、とも思った。だが今や意地でも申告書を手にしなくてはならなかった。たかだか数千円の時計に免責三千円の損害保険を適用したいがために入手するのではない。この短い日程の中、事件の処理に足掛け二日も費やしている。ここでおめおめと引き下がるわけにはいかなかったのだ。

 私がカフェで途方に暮れていると、男が、ハイ、ジャパン!と声をかけてきた。本来ならもっとも黙殺すべき種類の人間であったが、今はとにかく英語の通じる相手と話したかったので、そいつに掛け合ってみた。すると彼はもう少し英語の分かる人をつれてきて、その男が案内してくれることになった。
 最初に行ったのは郵便局である。そこには欲しいものはやはりなく、次に彼は私をさっきとは別の煙草屋に連れて行き、私はそこで遂に二十ディラハムのティンバーを手にすることができたのだ。ティンバーとは、印紙のことであった。
 彼がにこやかに去っていこうとしたので私は急いでチップを渡した。こんな街で純粋な親切に出会えると、やはり嬉しいものだ。
 私が印紙をもって帰ると話は俄かに展開しだし、あっという間に申告書が出来上がった。だが時は既に十一時、列車の出発まであとわずかな時間を残すのみだった。

~フナ広場のジュース屋台~

 私はメディナの見納めにと、地元市民の生活の場となっている日用品を売るスークを訪ねた。そこでも私は市井の人々と触れ合うことができた。
 こうしてみるとこの国も悪くはないな。フェズですっかりすさんだ私の心、この国への嫌悪感は、マラケシュの人々によってだいぶ解きほぐされていた。

 メクネスやフェズで出会った連中も、物事の考え方が我々日本人とは異なるだけで、根はいい奴らなのかもしれなかった。私は母国とはまったく異なる文化の中にもっと溶け込むよう努力すべきだったのだ。だがそれはとても難しいことでもある。
 盗難に遭い、お役所仕事に振り回されたこの二日間ではあったが、心は穏やかだった。一週間を振り返るとさまざまな出会いと別れ、正直と欺瞞、そして下心と親切とがあった。どれもこれも一人旅ならではの経験だったと思える。
 またいつかこの国に来ることがあるだろうか。多分ないだろう。私はいい思い出とそうでないものとを胸に、一路カサブランカへと向かった。帰国すればきっとすべてが懐かしく思い起こされることだろう。その日まで、あと三日であった。


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