入国

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 大英帝国はビルマ支配にあたり、各地に英国風の地名を付与していた。しかしそうしたなかで首都ヤンゴンだけは、公称としてラングーンが与えられたにも関わらず、ビルマ人の誇りがそうさせたのだろうか、一貫してヤンゴンと呼ばれつづけていた。
 最貧国といわれる国の一つ、ミャンマー。そこには今も軍事政権が君臨し、国内では民主化運動の弾圧や、独立を求める少数民族ゲリラとの内戦が絶え間なく続いている。
 ミャンマーの経済は複雑だ。長い間独自の社会主義による鎖国体制をとっていたため、闇経済の力が非常に大きくなっているためである。個人旅行者は、入国時に外貨兌換券(FEC)と呼ばれる、建前上は米ドルと等価(実際はドルより低い)で再両替不可のミャンマー専用金券を三百ドル分購入する義務がある。つまり、どんな貧乏旅行でも、どれほど短期間の滞在でも、最低三百ドルは落としていってもらいますよ、ということである。軍事政権らしい小癪なやり口だといえる。
 そういうことならこっちもきっかりそれだけを使う旅にしてやろうではないか。ヤンゴン空港のイミグレーションを通過した後、係員にFEC窓口に連行された私は、持ってきた三百ドルちょうどのトラベラーズチェックをFECに両替した。

 ミャンマーには正式な通貨としてチャットというものが存在はするが、外国人は、食費やお土産代などを除いて、飛行機、鉄道、ホテル、入域、といった観光に関わる諸費用を米ドル(FEC)で支払わなければならない。それは、複雑極まりないチャットのレート、およびミャンマー国内の物価や人件費の極端な低さに原因がある。もしあらゆる支払いをミャンマー人と同じ値段でチャットで行えば、本当に一日あたり数百円の予算で十分なのだ。しかしそれでは国にとってまったくうまみがないので、観光に関わる部分にドル建ての「外人価格」を設けて、非常に割高な料金を徴収するのである。
 不思議なのはレートで、数種類が存在している。公定レートとは政府が望むレートであり、五チャット/ドル。およそ非現実的なレートだが、銀行ではこのレートでしか両替できない。
 無論公定レートでは経済は立ち行かない。実際に意味を持つのは闇レートである。闇レートとは市場レートのことであり、現在三百チャット/ドル。このレートは一月で数割は平気で変わるとても不安定なものだ。政府は一旦は闇レートを公認していたのだが、方針転換で闇両替商たちはすべて捕まり、今やライセンスを持つ商店すら両替には手を出したがらない始末だった。なにしろ両替屋に両替を頼むと、うちではやっていないからその辺を歩いている誰かに頼んでくれ、とかえされるのだ。
 折衷案として設けられている公設両替所レートは、二百チャット/ドルくらいである。論外の公定レートよりはまともだが、それでも闇レートよりは随分と悪い。

 ヤンゴン到着は深夜だった。さすがに夜中に一人で宿を探すのは憚られたので、一泊目だけは日本からファックスを入れて部屋の確保を頼んでおいた。国際電話がつながるまで一時間、それだけ待っても繋がらないこともあるというこの国にファックスを入れるには、それなりのクラスのホテルでなくてはならなかった。私は三十ドルのホテルを選んだ。
 通関手続きを終えて空港を出た私は、言い寄ってくる運転手たちと交渉して、深夜だから八ドルだというところをなんとか五ドルにまとめるとそのホテルに向かった。ホテルでは従業員が恭しく私を迎えてくれたが、ホットシャワーの蛇口を捻って出てくるものは水だった。三十ドルでこれか…。
 ミャンマーは典型的な熱帯モンスーン気候で一年中暑いが、現在は乾季であり、年間を通じてもっとも過ごしやすいときであった。乾季においては、昼間は気温が上がるが、夜は冷える。そして日本の夏と異なる点は、湿度が低いことである。夜に浴びる水のシャワーは少しこたえた。
 翌朝チェックアウトしようとすると、向こうから勝手に、スペシャルディスカウント二十パーセントです、と言ってきた。引いてくれるというのなら喜んで引いてもらおう。私は二十四ドル支払うと、FECをチャットにかえてくれる両替屋を探してヤンゴンのまちに繰り出した。


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