素敵な鈍行列車

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 朝方ブリュッセルを出発したサベナ航空機は、昼前にカサブランカのムハンマド五世国際空港に着陸した。

 フランスからのモロッコ独立を勝ち取った前国王、ムハンマド五世の名はこの国の至る所で用いられていて、空港はもちろん、各都市の目抜き通りには必ず彼の名が冠せられている。そのため、国内には無数のムハンマド五世通りが存在するのだ。
 当然ながら現国王ハッサン二世もムハンマド五世に次いで重要な通りの名前となっており、なおかつ各商店の店頭には必ず国王の写真か肖像画が掲げられている。ここはれっきとした王国なのだ。

 カサブランカはマグレブ諸国最大の経済都市であり、アフリカ一の貿易港を抱えた街でもある。当然空港もそれに相応しい構えを見せていて然るべきところではあるが、実際はかなり怪しい雰囲気を醸し出している。薄暗い照明の中、リチャード・クレイダーマンだけが延々と流れ続け、靴磨きの少年や物売りが跋扈している。タクシーの客引きが旅行者に片っ端から声をかけてまわっている。
 まずは両替だ。モロッコの通貨ディラハムはモロッコ国外では両替できない。そこで空港の両替所で一週間の資金として三万円を約二千四百ディラハムに両替する。一ディラハムは約十三円である。

 空港から主要都市まではバスが出ているはずだったが、何故か見当たらないので鉄道を使うことにし、首都ラバトを飛ばして三大古都の一つ、メクネスへの切符を買うため空港駅の窓口に向かった。数十年に渡ってフランスの施政下にあった影響で、この国ではフランス語が広く通用する。
「ドゥーズィエムクラス(二等席)、メクネス!」
 すると国鉄職員はカサボワイアジュール駅で乗り換えだと英語で切り返してきた。なんだ、英語も通じるのか。しかし、時刻表を見ると乗り継ぎには二時間も待たなければならないようだった。やれやれ。

 列車がを出発する直前、あたり一帯に漂う空気のあまりの怪しさに気圧されて帰りの便のリコンファームをし忘れたことに気づいたが、この列車を逃すと次はいつになるのかわからない。通信事情の悪いこの国で、電話でのリコンファームが可能なのかどうかさえ定かではなかったが、まあなんとかなるだろうと考えることにした。だがサベナの事務所の電話番号がわからないという事実に私が気づいたのは、列車が動き出した後だった。これはまずいことになった。

~カサボワイヤジュール駅~

 ほどなくして列車はカサボワイヤジュール駅に到着した。ここはカサブランカの中心であるカサポール駅周辺とは異なり見どころは何もない。私は空いた二時間を使ってリコンファームの問題を解決しなければならなかった。
 駅に電話機はあったが電話帳はなく、番号案内のようなサービスが存在するかどうかもわからなかった。仮にあったところで英語が通じる可能性は高くないだろう。頭をひねった挙げ句、ガイドブックに載っている他の航空会社の事務所に電話してサベナの番号を聞くことにした。我ながら良い考えだと思ったが、英国航空にかけてもルフトハンザ航空にかけても誰も出ない。虚しく呼び出し音が続くばかりだ。電話機が壊れているのか、通信回線の問題か、はたまた皆が怠けているのか。
 途方に暮れているとき、日本人と出会った。二週間の旅程でモロッコの内陸部、アトラス山脈の先のサハラ砂漠へ向かうという。そして幸運にも彼女はサベナの番号を知っていた。どこにも繋がらない旨を訴えると、彼女は言った。
「今日日曜でしょう」
「そうか!」
 二人で話に興じているうちに列車がやってきたようだ。私は駅員に行き先を確認し、彼女と別れてメクネス行きに乗り込んだ。

 空港と市街とを結んでいる列車はまだマシだったが、今度のは凄かった。日本でたまに見かける、基地で雨ざらしになっている現役を引退して久しいおんぼろ列車といった風情だ。トイレにいたってはドアを開けて中を覗いたとたん、思わず尿意をも喪失してしまうような代物である。ガラスは汚れと傷とで外の景色がはっきり見えない。こんなものに四時間以上乗っていなくてはならないのだ。途中で眠くなってきたが、眠っているすきにザックを切られるという話があったので必死に眠気を抑える。
 列車には、ジュラバ(全身一体型の民族衣装)を纏った婦人、ベルベル(北アフリカの先住民族)の爺さんや少年など、おそらく切符など買っていないであろう連中がレールの上を歩いて飛び乗ってきては飛び降りていく。小さな駅ではホームなどあってないようなものだ。コンパートメントのない普通列車には車内放送もなく、くもりガラスのように煤けた窓からは外がよく見えないので列車が駅に停まるたびに気が気でならない。駅ごとに向かいの席の青年に確認する。いくつ目かでやっとそうだといわれ、私はメクネスの街に降り立った。

~ホテルマジェスティック~

 ほとんどのモロッコの都市は、新市街と旧市街(メディナ)とで成り立っている。新市街がフランス統治下において都市計画にのっとって整備された近代的市街であるのに対し、メディナは古い伝統を持つ石造りの迷宮状の市街地である。
 メディナは、土産もの屋を含むありとあらゆる商店と職人の仕事場との集合体であるスーク、及び住宅地とからなり、内部はところによっては人がすれ違うのもやっとのような、複雑に曲がりくねった細い路地で結ばれている。いわば複雑さを守りに用いた要塞なのだ。今回の旅の目的は、モロッコ三大古都であるメクネス、フェズ、マラケシュのメディナを訪ね、そのバイタリティーを肌で感じることにあった。
 駅や郵便局、銀行などは大抵新市街にある。新市街というとなんとなく美しく整った街並みを想像するが、労働意欲に欠けるといわれるモロッコ人により構築される景観はお世辞にも美しいとはいえない。それは、街全体が一つの芸術作品ともいえるブリュッセルを訪れた後だけにひとしおに実感されることでもあった。

 一泊目は、新市街にある二千円程度のホテルに飛び込んだ。お湯の出るシャワー付きの部屋を望むと、どうしてもこれより下では難しい。このクラスであればフロントは英語を理解するのでコミュニケーションも容易だ。部屋や風呂は日本での感覚からすればきれいとは言い難く、どうにも落ち着けなかったが、これでも星付きホテルなのだ。


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