アラウンド・ザ・コーナー
 
アラウンド・ザ・コーナー

 タブリーズのまちは、行進する兵士、キャタピラを轟かせる戦車、そして軍用車で埋まっていた。あまりの壮観さに私は瞠目した。沿道に群がる市民の一人に聞けば、今日は開戦記念日なのだという。かつて戦況のあまりの膠着ぶりを評してイライラ戦争などと呼ばれたあのイラン・イラク戦争。終戦ではなく開戦の日を祝うというのが変わっている。
 だが本来この戦争は終わったわけではなく、国連の調停により停戦となったに過ぎない。しかもイランは緒戦の劣勢を跳ね返し、終盤は優勢だった。イスラム革命の輸出を嫌った国際社会がイラクに肩入れさえしなければイランは勝利しただろうとも言われている。そういった事情からイラン国民は戦争に誇りを持っているのかもしれない。だから開戦を祝うのだろう。

 なんにせよ軍事パレードを生で見るのは初めての経験だ。手を伸ばせば届くすぐそこを本物の戦車が走っている。いい土産話ができた。こんな日にたまたまこのまちを訪れることができたのも僥倖というものだ。私はそのまま楽しく歩き続け、パレードに沿って交差点を曲がった。その時だった。
 道端に停まっていた黒いセダンのドア四枚が一斉に開き、中から黒服の男たちが四人、一糸乱れぬ連携動作で下りてきた。ほう、と私は思った。なんと絵になる光景だろう。いったい何が始まるのか。ところが四人は音もなく私に近づくと、四方をぐるりと取り囲んだのだ。え、私?
 二人が私の両脇を抱えると車へと引っ張っていく。こいつらは一体なんだ?可能性は二つだった。一つは警察。もう一つは誘拐犯。だがこんな衆人環視の中で拉致が行われるとは考えにくい。そうであれば警察ということになるが、彼らは辻々に立っている風俗警官の制服を着ていない。なんとも怪しい全身黒づくめの服だ。上着などはタートルネックになっておりとても警官には見えない。
 と、そこまで考えたところで後部座席の真ん中に押し込まれた。どうせ考えたって無駄なのだ。こっちは一人、相手は四人。逃げようったって逃げられないし、下手に抵抗して撃たれたり刺されたりするのも御免だ。
 群衆は何ごとかと我々を遠巻きに見守っているが、誰一人として私を助けてくれようとはしない。そういった様子からも、彼らが警察であるという可能性は高まる。それも秘密警察とか特殊部隊といったような、人生においてもっとも関わりあいになりたくない種類の連中だ。だがそうだとするとなんの咎で?服装も派手じゃないし、禁制品だって持っていない。
「いったいどういう問題があるんです?」
 そう英語で訊いてみた。
「我々は英語がわからんのだ」
 一人の男が英語で答えた。これではまるで漫才だ。
「これからどこへ行くんですか?」
「我々は英語がわからんのだ」
 何を尋ねても答えは同じだった。車は静かに動き出した。ああ、これはまずいことになった。本当にまずいことになったぞ。

 日本人が海外で捕まり、長期刑を受けたり死刑を宣告されたりというニュースをたまに聞く。当たり前のことではあるが、外国ではその国の掟に従って善悪が判断される。そのため日本では考えられないような罪状であり得ないほどの量刑が言い渡されることがままあるのだ。
 ましてやこの国は世界で他に類例を見ないイスラム共和国という独特の政体だ。あらゆることがイスラムの教えに従って運用されている。刑法もシャリーアと呼ばれるイスラム法がベースとなっており、窃盗に対する手足の切断、姦通に対する死刑等はよく知られている。
 開祖ムハンマドを侮辱する作品を書いたとされる英国人作家サルマン・ルシュディ氏に対してホメイニ師が発した死刑のファトワ(シャリーア上の判断)は今も有効で、その作品の日本語訳を行ったがために暗殺された筑波大助教授の事件は未だ解決していない。異教徒の日本人にとってどんな落とし穴が存在するか知れたものではないのだ。

 そんなことを考えながら重苦しい沈黙に満ちた車内で善後策を求めて頭をフル回転させている中で、私の心にはぼんやりとした不安が芽生えていた。写真だ。確かに私は写真を撮った。政府関係施設にカメラを向けただけで風俗警官が飛んでくるこの国において、軍事パレードを撮影するという行為が間違いなく違法であろうことはわかっていたので、カメラを高く掲げてファインダーを覗くような馬鹿な真似はせず、ポケットから少しだけレンズを覗かせて適当にシャッターを切ったのだ。それも一枚だけ。
 そんなものを誰かに気付かれたとは思えないし、写真を撮ったのは捕まった場所からだいぶ離れたところだった。万一その件だとしたら相当に厄介なことになりそうだが、まあ関係ないだろう。だがそうだとするとやはり容疑がわからない。単なる人違いか、それとも自分では気づかずに何かまずいことでもやらかしていたのだろうか。

 町はずれにある白い建物の前で私は車から降ろされた。それなりに大きいが人気のまったくない、ガランとした建物だ。どこにも何の掲示もないので何を目的とした施設なのかよくわからない。掲示がないということはやはり秘密警察なのだろうか。
 秘密警察。私は声に出さずにその語感を確かめてみた。そしてそのような種類の組織に捕まった後にどのような運命が待ち受けているのかを、少しだけ想像してみた。
 もちろん私はかつての大日本帝国で何よりも恐れられた特高、特別高等警察がどのような組織であり、どのような活動を行っていたかを知識として知っている。そしてそれに類する組織が今なお世界中に存在することも。

 私が連れて行かれた先は質素な部屋だった。長い机があり、椅子がある。だが窓はなく、なにより幸いなことに拷問道具のようなものも見当たらなかった。
 男たちはまずバックパックの検査に取り掛かった。中身を全て開け、一つ一つ仔細にチェックする。着替えを広げ、ガイドブックをめくる。無論怪しいものなどなにもない。ゆっくり時間をかけ、荷物を一通り調べ終わると男は私を眼光鋭く睨んで言った。
「カメラ?」
 目の前が暗くなった。やはり逮捕理由はあの写真だった。この国では東洋人が歩いているというだけで注目を浴びる。私の行為を目撃した誰かが密告したのだろう。私はスパイ容疑で捕まったのだ。考えられる中で最悪の展開だった。

 オリンパス製の小型35mmカメラの中でフィルムの一コマに焼き付けられている戦車。これが見つかったらおしまいだ。その時カメラはズボンの右前ポケットに入っていた。ボディーチェックをしなかったため、彼らはまだそれを発見できていなかったのだ。
 カメラの存在を明かせば間違いなく撮影内容をチェックされるだろう。そうすればもう言い逃れはできなくなる。一方で私は、このままカメラが見つからないという僅かな可能性に賭けることもできた。この国ではポケットに収まるような小型カメラなど存在しないのかもしれず、そうであればボディーチェックも行われないかもしれない。私はコンマ数秒の間、これまでの人生で最も密度の高い思考を行った。
「持っていません」
 私は相手の目を見てそう答えた。ここでどう答えるかが自分の運命を左右するであろうことは明白だった。もし嘘がばれれば、私の立場は正直に申告した場合とは比べ物にならないほど悪化するだろう。だが私はわかりきった負け戦に臨むことをよしとせず、一か八かの勝負に出たのだ。さあ、采は投げられた。もう後戻りはできない。
「フォト?」
「知りません」
「本当に?」
「本当に!」
 彼らは再度荷物の詳細な検査を始め、ほどなく二枚のバスチケットを見つけ出した。一枚は私がここへ来るときに使った使用済みのもの、もう一枚は到着時にターミナルで買ったテヘラン行きの未使用のもの。男はチケットの券面をしげしげと眺めている。
 私は心の中で神に祈った。どうかあのことに気づかれませんように。どうかあれを疑問に思いませんように。だが、どうやら祈る神を間違えてしまったらしい。ここはアッラーの知ろしめす国なのだ。

「これは、昨日。そしてこれは、今日だな?」
 男は射るような視線で私の顔を覗き込みながら、二枚のチケットそれぞれに刻印された日付と時刻を示した。絶望が私を襲った。よせばいいのに、こんなときに限って私はここを訪れるために「夜行イン、夜行アウト」の行程を組んでしまっていたのだ。今朝このまちにやってきて、一泊もせずにそのまま去るという強行軍だ。足掛け三日もシャワーを浴びられないし、二晩連続してバスの窮屈な座席で寝ることになる。少しでもまともな感覚を持った旅行者ならこんな無茶はやらない。でも、秘密のミッションを帯びたスパイだったらそういうこともやるかもしれない。
「その通りです。昨日の夜に向こうを出て、このまちを見た後、今晩ここを発つつもりでした」
 私はそう答えた。動かぬ証拠があるのだから、こればかりは正直に言うしかない。
 皆は険しい表情で議論を始めた。私が話した英語を彼らが理解できたのかどうかはわからないが、私への疑惑が深まったことは明らかだった。これはいよいよカメラを何とかしなくてはならない。一瞬の判断の遅れが命取りになりかねなかった。果たしてどうすれば良いか。私は人生で二度目の頭脳フル回転状態に入った。

「トイレに行きたいのですが」
 私がそう言うと、男はドアの外を指した。私はそっとその場を離れるとトイレに向かった。誰も後にはついてこない。これが映画であればトイレの窓から首尾よく脱出するものと決まっている。だが現実にできることは限られていた。私は静かに個室に籠もると、ポケットからカメラを取り出した。今ここでカメラの裏蓋を開ければ、一瞬にして撮影済みのコマすべてが感光して証拠は消滅する。それでおしまいだ。私の身は安全になる。
 だが裏蓋の留め具に掛けられた私の指にはなぜか力が入らなかった。急にフィルムが愛おしくなってきたのだ。たった一枚のパレード写真のために残りすべてを消し去るのか?わずかの間にすさまじい葛藤があった。その時私の脳内でどのような論理が駆け巡ったのかは自分でもわからない。ふと気づくと私はカメラの底にある「巻き戻し」ボタンを押していた。
 いきなりウィーンという巻き上げモーターの音が辺り一面に響き渡った。私はあわてて水を流して音を消した。すべてのコマがパトローネに収納されるまでモーター音は続いた。それは永遠とも思える長さだった。
 ウィーン、カラカラ、カチャッ。巻き戻しは終わり、私はカメラの裏蓋を開いた。撮影済みのコマは遮光されたパトローネ内にすっかり収納されている。これでフィルムは安全だ。だが代わりに私は安全ではなくなった。
 なんということだ。せっかく一人でトイレに行かせて貰うというすばらしいチャンスを得たのに、それを活用するどころか却って危ない橋を渡り、揚句なんの成果を出すこともできなかった。こんなことをするくらいならカメラに入れっぱなしにしておいた方がまだマシだった。
 このフィルムをどうするか。窓から投げ捨てようか。いや今更証拠を残していくようなことはできない。私は取り出したフィルムを左ポケットに、カメラを右ポケットに入れ、覚悟を決めて部屋に戻った。

 男たちは果てしない議論を続けていたが、私が戻ると一人が言った。
「メモ?」
 そして私の小さなメモ帳を取り上げ、そこに何か書き込む仕草をした。メモだって?確かにメモは取っていた。戦車を眺めながらパレードの様子やその日の出来事などを簡潔に。私の大切な旅の記録だ。だがそれがまずかった。密告者はメモのことも当局に伝えたに違いない。確かに軍事パレードの目の前でメモなどを取っていてはスパイと疑われてもしかたがない。
「はい、メモを取りました」
 私は素直にそう言った。私のメモ帳は日本語で埋め尽くされており、彼らにその内容が理解できようはずもない。またしても合議が始まったが、いつまで待っても結論に至りそうにはなかった。それでもそのうち議論は終わり、男が言った。
「来い!」
 私は男たちに先導されて建物の外に連れ出され、再度車に乗せられた。嫌疑不十分で釈放されるのか?

 車は建物からしばらく行ったところにある小さな丘のふもとに止まり、私はそこで車から降ろされて丘の頂へと連行された。車はどこかへ去って行き、私を監視する男は三人に減った。私が芝生に腰を下ろすと、三方を男たちが取り囲んだ。釈放ではなかったのだ。眼下ではまだパレードが続いている。皆むっつりと押し黙ったまま時間だけが過ぎて行った。いったいこんな丘の上にいることに何の意味があるのだ?
 一時間も待っただろうか。新たな車がやってきて、私は三たびそこへ押し込まれた。しばらく走って到着した先は、さきほどよりも大きくて賑やかな建物だった。何を目的とした施設かはやはりわからなかったが、大きく広がる室内のあちこちでは天井から係ごとのプレートが吊り下げられていた。ほとんどがペルシャ語だったが、私が連れて行かれた部署には英語のプレートがかかっていた。"Foreign Affairs"、外務部だ。今度は英語が通じる。
 私は椅子に座らされ、再度荷物検査を受けることになった。もちろんパスポートの提示も求められた。ところが男たちは顔写真のページを矯めつすがめつしながら何度もこすっている。曰く、「おかしい」と。
 諸外国では写真を裏表紙に貼り付けて割印を押す形式が一般的なのに対し、日本のパスポートでは写真の画像を裏表紙に直接転写しているため凹凸がなくフラットだ。そのフラットな様子が、彼らの目には偽造めいて見えてしまったようなのだ。おいおい勘弁してくれよ、これは日本の正規のパスポートなんだ。あんたらのとは違うんだ。
 彼らは私のガイドブックやメモ帳を持ち去ってしまった。どうやら別の部署でその内容を調べるようだ。調べられて困るようなことは何も書いていないはずだが、漠然とした不安に襲われた。戦車の台数を書いたのはまずかっただろうか。

「日本大使館に連絡したい」
 この言葉が何度も喉元まで出かかった。だがそれは最終手段だった。この一言がどういう効果をもたらすのか予想できなかったからだ。一瞬で事態を解決に導く魔法の言葉なのかもしれなかったが、逆に彼らの態度を硬化させ地獄への扉を開くことになるのかもしれなかった。
 私はじっと耐えることにした。ポケットの中を調べられない限り、全てを正直に、ありのままに話していけばいいのだ。私は訪れたまち、泊まった宿などを一つ一つ丁寧に説明していった。
 そのうち彼らには聞くことがなくなり、私も話すことがなくなった。男たちは部屋の隅に固まって相談を始めた。いよいよお裁きが下るのだろうか。ここまで来たらジタバタしても仕方がない。私は頭のなかを空っぽにして次の言葉を待った。

 男が言った。
「オーケイ、わかった。これからどこへ行きたい?送っていこう」
 男からはこれまでの取り調べにおける強硬な態度は消え去り、声色も柔らかくなっていた。天は我に味方した!思わず視界がにじんだ。精一杯強がってはいたが、やはり怖かったのだ。本当に怖かった。
「駅へ行きたいんです。駅までお願いします」
 そのようにして私は生還した。なぜボディーチェックが行われなかったのかはわからない。そして行われていたらどうなっていたかもわからない。だが、とにかく私は賭けに勝ったのだ。

 帰国後に現像してみたら、角度が悪かったらしくパレードの様子は何も写っていなかった。撮影済みのコマを守り通すことこそできたものの、どう考えても冒したリスクと得られた成果が釣り合っていない。追い詰められると論理的な判断ができなくなるという教科書のような事例だった。もしもう一度同じ局面に居合わせたらそのときこそは―。
 いや、なにより滞在国のルールは守るべきなのだ。命があってよかった、ただそれだけだ。


PROFILE MAIL AKIRA Travels Facebook FB Messenger Twitter DM